2018年3月16日金曜日

刃物三昧

O.Yさんと、水戸の中屋平治さんを訪ねました。
仕事の邪魔をしてしまいましたが、2時間も話し込んで、大満足で帰ってきました。

「中屋」は元々は、鋸の目立て屋さんの屋号です。しかし、大工さんのほとんどが替え刃式の鋸を使う今、地金から鋸を手づくりする鍛冶屋さんは、全国で数えるほどになってしまいました。
全国の、ほとんどの「中屋」さんは、電動工具を含めた、工具一般を取り扱うお店として機能し、また、電動工具や農具の修理をしています。
ところが、中屋平治さんの店には、電動工具は一切置いてありません。置いてあるのは、鋸や包丁、小刀、ノミ、鉋など自作の刃物たちです。
そして、ご自分でつくられたものと一緒に、剪定鋏、刈り込み鋏など、腕のいい鍛冶屋さんに注文してつくってもらった鋏類も、中屋の名前で商っていらっしゃいます。また、ほかの地域でつくられた、ばねつきの剪定鋏、彫刻刀、砥石など、つまり「手の道具」も置いてあります。


これが手で目立てした鋸です。
いまでも、Aさんや、Tさんなど、こだわりの大工さんは、この鋸を使っていらっしゃいます。


見せていただいたこの鋸は、特別刃の細かいもので、一寸(3.3センチ)の中に、刃が40個あります。
メガネをかけ替えて見せていただきましたが、一枚おきに刃が裏を向いたり表を向いたりしている、幅1ミリ弱の刃は、メガネをかけてさえ、小さすぎてよく見えないほどの見事さでした。
 

この刃は、この玄能一本で立てるのだそうです。
気が遠くなりそうな仕事です。

私だって、手づくりの鋸を使ってみたい気もします。ただ、夫が使って何を切るかわからないから、すぐに刃を欠いてしまうだろうと話したら、平治さんが、こんな話をしてくださいました。

あるとき、ある人のところに大工さんが入っていました。その人はちょっと鋸を使いたくなり、大工さんが持っていた鋸を無断で拝借して、使って、折ってしまいました。鋏でも鋸でも、まっすぐ使わないで、ねじったりするのは危険です。
そこで、その人は同じものを買って大工さんに返すことになり、中屋さんを訪ねてきました。折れた鋸と同じものを所望したのですが、値段を聞いてびっくり仰天したそうです。

その値札は訊きませんでしたが、たぶん、10万円くらいしたに違いありません。この刃が小さい鋸は、もしかしたら100万円近くするのかもしれません。

その昔、友人の大工Cさんが車上荒らしに合って車を盗まれた時、車より、中に積んであった大工道具の方を惜しがっていたことがありました。彼も、きれいに研いだノミを、自作の箱にビシッと並べているような、腕のある大工さんです。


制作中のかんなの刃を見せていただきました。
焼き締めたあとは、ひたすら玄能で叩いて刃をつくるそうです。黒い色が二色に見えますが、刃先の方は土(砥の粉など)を塗って焼き締めてあります。


鍛冶屋を英語で言えば、blacksmith、この黒い色が美しく出ることが、中屋さんの無上の喜びです。

使っている鉄は全部、明治の古い鉄です。昔の鉄橋、錨などを切り、叩いて伸ばします。古い鉄は柔らかく、出来上がると鈍くて暖かい光を放ちます。例えば、レールでも、最初に新橋を通って引かれたレールの鉄が一番なのだそうです。
今でも、技術的には柔らかな鉄をつくれるそうですが、とても高いものにつくからと、つくられていません。


170年続く「中屋平治」は、息子さんがあとを継ぐことになり、次世代に技をつないでいます。

O.Yさんが気に入って、最後まで買おうかどうか迷った、小さなナイフ(小柳と言っていらしたか?)は息子さんの試作品、それはそれは美しい佇まいでした。ただ、使いこなすには、手入れが怠れません。
写真を撮り忘れましたが、O.Yさんが結局買ったのは、背の方がステンレスになったペティナイフ、こちらも美しい姿で、素敵な柄がついていました。このペティナイフはある商店を通じてドイツへ送られるもの、一本余分につくってあったものでした。
背がステンレスの包丁は、使ったらすぐに洗って拭かなくてはならない、すべてが鉄の包丁を使うほど、神経質にならなくても使えるものだそうです。


そして、私が買ったのは、刃物用椿油と彫刻刀でした。
植物油を刃物に塗るとべたつきますが、この刃物椿はべたつきません。しばらく使わない包丁に塗っておいて、そのまま使って、口に入っても大丈夫なものです。


彫刻刀は、ちょっと整えたりするのに必要、いつも道具籠に入れて、持ち歩いています。





4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

またまた香具師の話ですが「のこ話なので」
夜店で切れる「のこ」の実演です。
「はがねは鉄も切れる東郷ハガネです」っと釘を打ち箱ごと切ります。
「今鉄を切っている音です」確かに音が変わりますよ。
そこで「サクラ」が2・3本買います。
一部始終見ていた少年が私です。

かねぽん さんのコメント...

福島の会津若松には、かつて30軒もの鋸鍛冶がいたそうですが、今ではたった1軒になってしまったそうです。だいぶ前の話ですが僕の家の近くで研師をやっていた人は、仕事が無くなって自殺してしまいました。一度失われた技術は二度と甦ることはありません。この現状、何とかならないものでしょうか。

さんのコメント...

昭ちゃん
少年昭ちゃんは、驚きいっぱいで、その鋸が欲しかったでしょうね。目に浮かびます。
ほんと、その昔は、わけのわからない胡散臭い人がいっぱいいて、でも人情がそこここにありました。今は、見た目が胡散臭い人はいないのに(国会周辺にはいっぱいいるけれど)、人情は冷え切っていますね。
先日、久しぶりに赤瀬川源平の「櫻画報」を読み返しました。今、日本人の好きな花は桜一辺倒ですが、桜、さくら(馬肉)、香具師のさくらをひっかけていて、おもしろかったです。
何でも切れる東郷ハガネがあるといいけれど、柔らかい木と硬い木によって鋸を違えたりすることの方が、もっと面白いかなぁ(笑)。

さんのコメント...

かねぽんさん
会津若松だったら、森にまつわる仕事をしていた人がたくさんいて、チェーンソーが出回る前は、鋸鍛冶屋さんは必須だったでしょうね。
道具はたくさんの人が使うようになれば、技術は継承されますが、なかなかそうはいきません。鉋は、今でも使っている大工さんがたくさんいますが、それでも使えない大工さんもいた、「けずろう会」ができてから、若い人たちの関心や腕は格段に上がって、大工を目指す人の裾野も増えたようです。
手づくりの鋸は、鉋に比べると使っている人が圧倒的に少ないですね。中屋さんは、見込みのある大工さんには、ある程度目立てを自分でできるように伝授していらっしゃいます。
私は、樵さんたちが、木を切る合間にもチェーンソーを研いでいるのを見ていたので、鋸の目立てもあんな感じかと勝手に思っていたら、まったく違っていました(笑)。玄能で目立てするんですね。
私たちが訪問している間も、中屋さんにはたくさんの人が包丁や鋏の修理を頼みにきて、賑わっていました。彼自身も、一時は自分の代で店は終わりだと思っていたのですが、ネットの時代になって、海外にまでも売れるようになって、店をたたまずに済んだとおっしゃっていました。一時は時代遅れだと思っていても、そこで我慢していると、突然最前線に出ることもあります。鍛冶屋さんたちには頑張ってほしいです。