2018年2月7日水曜日

恵比寿大黒

作業棟が上棟してからずっと、屋根の上に乗せるものをさがしていたことがありました。
とくに、まことさんの店で阿吽の古い瓦に出逢い、それを逃してから、本腰を入れてさがすようになりました。
阿吽の瓦は、それなりに値段の張るもの、一人で見たものの決心がつかず、しかし忘れられず、家に帰ってから数時間後に夫に話し、もう一度二人で見に行きました。
台の上に、箱に入れて置いてあった阿吽の箱を開けて、二人で見て、夫も気に入ったので、その旨まことさんに伝えたら、
「あらっ、たった今売れちゃったよ。買ったお客さんそこいらにいるはずだよ。言っておいてくれれば、取っておいたのに」
と言われて、涙を呑みました。

その後、水屋さんの店で、石の恵比寿さまを見つけ、今では屋根に乗っていただいて、一件落着しました。そして、暮れには瓦屋さんから瓦の鯛抱き童子をいただき、
「もう乗せるところがないよぉ」
と、嬉しい悲鳴をあげるほどになっていました。

そんなおり、骨董市にまことさんの店で、瓦の恵比寿大黒を見かけました。
そう古いものではなさそうですが、恵比寿さまも大黒さまも底抜けに明るく笑っていて、福を呼びそうです。
店を離れていたまことさんを見つけて声をかけました。
「値段を聞くだけだけど、瓦の恵比寿大黒は高いんでしょう?」
こんな問いかけをした時はたいてい、
「そうなの。悪いんだけど高い」
という答えが返ってきますが、この時は、
「それが安いんだよ。二つで3000円」
ううぅ、買える値段です。


というわけで、屋根に乗るあてもなく、恵比寿大黒がやってきました。


残念ながら、恵比寿さまの右脚は折れています。


しかし、脚が折れてもなんのその、恵比寿さまは高らかに笑っています。


大国さまの底には、「50年4月」と買った人が墨書きしていました。
1975年ごろつくられたもの、針金を通す孔が開いていませんから、最初から置物としてつくられたようです。


そして、恵比寿さまの底には、「三州・鬼長」と社名の印刻がありました。
調べてみると、鬼長は今でも鬼瓦をつくっている、鬼瓦屋さんでした。会社案内のホームページに載っている、にこやかに笑っている職人さんたち写真、その多くが外国人であることに、時代の流れを感じます。
 






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