2017年10月12日木曜日

木彫りの犬張り子犬


木彫りの、犬張り子犬です。


胡粉を塗った上に彩色しているので、木彫りかどうかわかりにくいのですが、首に結んだリボンの彫りを見ると、木彫りとわかります。


犬張り子の制作は、足が四本に分かれているので、そのぶん型から外す作業が複雑になり、手間のかかる作業ですが、木彫りの方が簡単かと言えば、型がないだけ、誰にでもつくることができるものとは思えません。


彩色は丁寧で、脇腹の飾り布や前垂れのボタンの絵には金彩を施して、華麗に仕上げています。


それにしても、木を彫って犬張り子犬をつくる意図は何だったのか、木彫りのお雛さま飾りに合わせたのか、あまり例を見ていないのでわかりません。


大きい犬のお腹には銘がありますが、漢字一字か、ひらがなかも、不明です。

さて、犬張り子の原型は、平安時代に宮中で祓(はらい)の具として使われた、「犬をかたどった箱」だと言われています。


室町時代になると、犬の形をした犬筥(いぬばこ)ができました。
京都の上流階級の間では、この犬筥を、天児(あまがつ)や這子(ほうこ)などの祓人形とともに、を産室に飾る風習ができました。
犬筥の顔は幼児に、身体は犬に似せてつくってあります。犬は出産が軽く、子犬たちが健康に育つことから、子どもが生まれると、産着をまず犬筥に着せ、それから子どもに着せて魔除けとしましたた。

この風習は江戸時代に入ると、京の町では広く一般化され、犬筥は嫁入り道具に加えられたり、子どもの枕元に飾ってお守りとしたり、雛祭りに飾られたりしました。

 
江戸時代中期には、江戸で、箱型でなく、犬の立ち姿をした、犬張り子が出現しました。
玩具史上出色といわれる、江戸犬張り子です。

江戸犬張り子は庶民の間でももてはやされ、男の子は誕生後31日目、女の子は33日目に、産土神(うぶすなのかみ)に宮参りをするとき、この犬張り子にでんでん太鼓を生麻(きあさ)で結びつけたものが祝いものとして、母の実家や親類縁者から贈られました。この風習は大正年間まで見られました。今でも、東京のたくさんの神社で、犬張り子を授与しています。
また、上方ではこの犬張り子を、「東犬(あづまいぬ)」と呼びました。

張り子とは別に、木彫りの犬の玩具もありました。

 
岐阜県犬山の針綱神社に、織田信長の叔父、織田信康が奉納したという、手彫りの犬があります。
犬山という地名には諸説あるようですが、元々は、「害獣を駆逐するために、犬を野山に放つ」ことを犬山と言ったと言われています。

『日本の人形と玩具』、西沢笛畝著より

そして、針綱神社の祭礼は非常に盛大でした。

『日本郷土玩具事典』、西沢笛畝著より
 
針綱神社では、信康公が奉納した犬を模した木彫りの犬を、大正ごろまで授与していましたが、惜しいことに廃絶していました。


ところが、ネットで見ると、復刻されたのか、今も木彫りの犬が授与されているような記事を見つけました。
定かではありませんが、新しい犬に見えます。


犬のおもちゃを見ると、犬が人とともに生きてきた歴史を感じます。
それにしても、犬張り子はどうして猫に似ているのでしょうか?犬張り子犬は、狼とはほど遠い姿をしています。







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