2017年4月30日日曜日

モン人の刺繍(二)


客人があり、仮設ゲストハウスの掃除をしました。
ビニールハウスに住んでいたころは、お古のプレハブ材でつくった仮設ゲストハウスは、我が家で最も居心地のいい場所でした。とくに夏は昼寝場所として重宝していましたが、最近は、ちょっとした客人なら母屋の二階に泊めてしまい、特に寒い季節には、母屋は暖かいので、あまり利用しなくなってしまいました。

その仮設ゲストハウスのお手洗いには、モン人の刺繍の額が飾ってあります。


タイの難民キャンプにいたモンたちが、難民キャンプで刺したものです。
モンは、もともとはクロスステッチをする人々でしたが、その器用さを買われて、難民キャンプで初めて自分たちの生活を、糸で綴るようになったのです。


彼女たちが見たことのある動物、見たことのない動物と、竜、獅子、ガルーダなど想像上の動物などが、入り混じって描かれています。


その中で、モンの人々は、モンの服装をしているところが、素敵です。






2017年4月29日土曜日

本棚


作業棟の多目的ホールの一隅の、アールコブの本棚が完成しましたが、例によって、ばたばたしていて、途中の写真は、まったくありません。

材料としては21センチ幅の板と24センチ幅の板(破風板材)があり、広い方を使うつもりが間違えて、狭い方を使ってしまいました。そのことに気づいたのは、材をそろえて、全部刻んで、いざ組み立てようとしたときでした。
刻みを入れた材を破棄するのはもったいない。そこで、一番上の板だけ24センチのに替えてあとはそのままにしました。奥行きが出たのに、手前からは目立ちません。

二つ目の失敗は、せっかく組みあげて、入れようとしたら、入らなかったことです。
「さて、どうしようか?」
しばし頭をひねり、試しに側板一枚と上板を外してみたら、何とか入りました。やれやれ。
道具棚のように、二つに分けてつくって入れるのが楽ですが、本棚は目立つところにあり、小さくもあり、姿をよくしようと一つに組んだので、手間取ってしまいました。

「わぁ、もっと大きい本が入るようにして欲しかったなぁ」
とは、夫の感想。
しかし、つくった者勝ち、外野が何と言っても、後の祭りでした。


さっそく、夫の本を入れてみることにしました。
地下室に転がっている段ボール箱は、カマドウマの糞にまみれています。そして、地震の時崩れたままです。
写真に写っているのは、全体の半分くらいでしょうか。どう頑張っても全部入りきらないのですが、とりあえず端から手をつけます。


あれあれ、箱を開けてみると、私の本も、ちらほら混じっていました。


夫は、大きい本が入るようにして欲しかったと残念がっていましたが、出てくる本は圧倒的に普通の大きさの本ばかりです。
大型本も、そこそこあるだろうと二段にした棚が、今のところ全然埋まっていません。


本を片づけるのは嫌いじゃありません。
ついつい中を見たくなってしまいますが、我慢、我慢。
それにしても、北アメリカの鳥の本は、誰が買った、誰の本でしょう?







2017年4月28日金曜日

浪江の土からできていた

福島に、相馬焼きという、300年も続く焼き物がありました。たくさんの窯元があり、たくさんの陶芸家が、浪江町の土を使って作陶していました。
2011年3月11日の、地震による原発事故以後、浪江町は放射能汚染のため、すべての人が立ち退きました。
そしていまも、立ち入り禁止区域になったままです。


先日、次男夫婦と話していて、十年前の彼らの結婚式のときの引き出物だったカップが、相馬焼きだったことを知りました。
新婦あっちょの友だちが、つくったもので、友だちは浪江町に住んでいたのです。


原発事故以後、浪江町から逃げたその友だちは、いまは大分に住んでいるそうです。


あっちょの友だちがつくったものであることは知っていましたが、浪江町の土でできたものだとは、そのときは聞いたかもしれませんが、覚えていませんでした。






2017年4月27日木曜日

♪でっきるかな、でっきるかな♪

しばらく前に、夫が仮設木工室と、仮設材木置き場を取り払った跡地に、つつじを植えようとしていました。そのつつじは、早く大きくしたいと、植える当てもない時から買って、我が家で育てて大きくしていたものです。
夫は、すぐ結果を出したがります。つまり、せっかちで、待ってはいられない性格、思いついたら即実行に移したいのです。
「いつまでも更地を見ていても、しょうがないだろう」
「ちょっと待って。よく考えて庭はつくろう」

いつも、植えるのは夫、そして世話をするのは私です。
刈りこむのに足場がないほど広いつつじの群生をつくられたりすると、あとで困るのは私です。
というわけで、鈴木さんにお願いして、以前見せていただいたを、夫にも見せていただくことにしました。


相変わらず、とっても素敵でした。
15年前に庭師さんと相談しながらつくられたそうですが、石の置き方ひとつとっても、計算されているのに自然です。


敷石ではなく、玉切りにした木が、朽ちていくのも素敵です。


小さな花たちの叢も、
 

どれも素敵、さりげなく植えられています。


道端で見向きもされていないチゴユリもかわいい!


ほんの少しの起伏は、視線を低くすると、雄大な山並みにも見えます。

我が家のユンボで均した平らな庭は、いったいどこから手をつけたらいいのでしょう?
転がっている石を埋めることからはじめたらいいのでしょうか?
それとも、、増築のために裏に動かしておいたシャラやヤマボウシを、植え戻すことからはじめたらいいのでしょうか?
♪でっきるかな、でっきるかな♪







2017年4月26日水曜日

アールコブのデスク


この集成材の板は、どうして地下室にあったのでしょう。まったく覚えていません。
湿気の多い場所に保管していたので、集成材といえど反っているし、ビニールで覆ってあったので、ちょっと腐ってもいます。それでも、幅も奥行きも切って、表面を磨くと、なんとか使えそうです。
蜜ろうワックスを塗ったので目立たなくなりましたが、手前のあたり、木が腐っていて、ちょっと色が変わっていますが、大成に影響はありません。

手前の木口は、上から叩き入れるので、見えてしまう左端の部分を除いて、斜めに切ってあります。


重い板をはめるのに夢中で、途中の写真はありません。

左(南)側は、窓枠の下にくるので、はめ方としては右(北)側を高くしておいて、掛矢で叩き入れます。
まず、左の方にコンテナを積んで高さをほぼ出しておいて、板を仮置きしました。 その時点では、右端は、もちろん壁に引っかかっています。
右(北)側には、受けの材をあらかじめ取りつけておいたので、そこまで掛矢で叩き入れます。
  

一番上の板の写真で、木口の左端は、手前から見えるからと斜めに切り落としていませんでしたが、それでは絶対に入らない原理なので、はめる前に、そこも斜めに切り落としました。

端を斜めに切って入れても、少しは余裕を持たせなくては入らないのですが、余裕がありすぎると、隙間ができます。
この場合、南側には少しは隙間ができても目立ちませんでしたが、実寸より2ミリ程度短くしただけで、入れました。これほど大きいものになると、採寸を間違えるとやり直すのが大変なので、緊張します。


というわけで、今は漆喰下地の袋を置いているので見えませんが、右端は斜めに切ってある隙間が見えてしまいます。

次は、机の奥の本棚です。
つくる前からがっかりですが、たったこれだけでは、本はたいして入りません。
やれやれ。







2017年4月25日火曜日

サルサの思い出

その昔、東京池袋のはずれに、「サルサ」という小さなお店がありました。
いろいろな国の、民族布を惜しげもなく使って服を仕立て、売っている、ワンダーランドのようなお店でした。
「私、どんな人にも似合う服を見つけ出す自信があるの」
当時、40代だったでしょうか、素敵で気さくな女性店主は、そう言っていました。
実際、
「あなたには、これがいいわ」
と選び出してくれる服は、どれも魅力的でした。
彼女のつくる服は、たっぷりしていて着やすいのに、袖口や足元がきゅっと締まっていて、かっこよく見せるような服でした。

小さなお店から、にぎわいはじめたおしゃれな町自由が丘に、売り場面積の大きくなった店を出して、やっとこれからという矢先に、彼女は病に倒れ、あっけなく帰らぬ人となりました。

さて先日、夫の兄弟の家族たちと集まりがありました。
場所が自由が丘だったので、私はサルサの店主を思い出し、久しぶりに彼女のつくったパンツをはいて出かけました。


インドネシアのスンバ島のイカット(絣織) のパンツです。
布を小さく切ってしまいたくなかったのか、たっぷり使って、仕立ててあります。腰のポケットもギャザーを取って立体的だし、腰には共布の紐を結ぶようになっていて、腰回りがもこもこするので、圧迫骨折で体形が変わってしまった私にはちょっと似合わないのですが、上にたっぷりしたブラウスを着て、腰回りを隠して着ました。


藍だけで染めた経絣(たてがすり)の布で、スンバ島の伝統行事である勇壮な騎馬祭りの「パソラ」や、


天上界の象徴とされ、繁栄のモチーフでもある鶏などが描かれています。
イカットとしては、そう手の込んだものでもありませんが、私ならもったいなくて、はさみを入れられなかったことでしょう。
自由が丘は相変わらず変わり続けていて、さらにおしゃれな町になっていました。そんな町を歩きながら、サルサがなくなってもう20年以上経つのだと、改めて思ったことでした。

スンバ島の伝統的な家。とがったところに、神が宿るとされています








2017年4月24日月曜日

別世界


夫の兄弟たちとその家族との集まりがあり、東京に行ってきました。
総勢19人、楽しい集まりでした。
 

お酒も飲むし、遠いからと、夫の弟のひろちゃんが住んでいるところに、泊めてもらいました。
もう、別世界でした。
 

いやはや、田舎生活にどっぷりの私たちは、目が回ります。


でも、楽しかった。


見えているのは、隅田川と、勝鬨橋です。

前にも書いたけれど、小学生のころ、父母に勝鬨橋に連れて行ってもらいました。
そのとき母は、白とグレーの細い縞の、当時流行っていた全円のフレアースカートをはいていました。母、三十代でした。
 

以前、ソウルからテルアビブまでの直行便に乗って飛んだ時、ヒマラヤ山脈の北側の砂漠のような地をわりと低く飛びました。
左手には山脈が、眼下には砂漠地が延々と続いていました。
そして、砂漠地には直線道路が走っていて、あるところで突然消えたりしていました。

そこに住んでいる人たちと自分は、果たして同時代に住んでいると言えるのだろうか、海を見たことのない人と、見たことのある人では、感じ方も違うのではないか、などなど、心が震える思いで砂漠を見つめていましたが、現代の東京と八郷も、あまりにも違うので、そのときの感触を思い出したほどでした。
 

一つ泊まって、帰ってきました。


八郷では、まだ咲いている山桜も残っていて、春たけなわです。






2017年4月23日日曜日

アールコブ


スイッチやコンセントをつけるための袖壁ができたら、次は腰壁です。
両側にほぞ穴を開けて、ほぞをつくった梁材を下から叩き入れました。
上が全部窓になると勘違いして、柱を傷つけまいと下から入れたけれど、西側も細い袖壁になることを、途中で思い出しました。
無駄な労力を使ったものです。掛矢(おおきな木槌)で、梁を叩き上げるより、叩き下ろす方がずっと楽だったのでした。


それでも、梁が入りました。
太さが適当な材を見つけて長さに切ったとき、杉ではなくてヒノキだったことに気づきました。
土台を除いては杉を使っているので、ちょっと気になりますが、夫は、
「かまやぁしねぇ」
と言います。まあ、そのうち色も馴染むでしょうか。

ところで、中に見える窓サッシは、母屋をつくったときサッシやさんが寸法を間違えてつくり、のちに正しい寸法のものをつくり直してくれたので余ったものです。
何とかこれも使いたいと思いましたが、どうにも収まりようがなくて、使えませんでした。


腰壁には、間柱を入れて、板を張りました。


袖壁の電気配線が終わったので、袖壁の外側も張ります。
 

中から見たところです。


ここは、メインホールに面した小さなくぼみで、アールコブになります。
西側(左)の壁を張り終わって、北側(奥)の壁を張っているところ、だんだんアールコブらしさが出てきました。


北側の壁は、分電盤を設置しているので、電気コードがたくさんあります。


いったいどこにつながっているのでしょう?


さて、内側の壁を全部張り、窓の西側にも小さな壁をつくります。
窓も、窓枠をつけるはずなので、外側(開口部側)から打ち込んで、梁に傷をつけてもよかったのですが、一応、内側、つまり壁になる方に溝をつくって打ち込んだので余裕がなくて、ジャッキを使って押し広げたりして苦労しました。
でも、出来上がってみると、窓の方はまったく傷がついていないという気持ちよさがあり、苦労は報われます。


袖壁をつくる理由は、西側の壁全体を本棚にするので、ガラス窓は途中まででいいからです。


天井も一部張り終わり、照明もついています。


このアールコブは、床もちょっとあげます。
夫の本もやっと日の目を見るというわけですが、はたして本たちは無事でしょうか?







2017年4月22日土曜日

ティンガティンガ


母屋の二階のお手洗いのドアには、タンザニアのティンガティンガのネームプレート(ルームプレート)をはめ込んでいます。

ティンガティンガとは、合板にエナメルペイントで、一枚一枚手描きしたもので、タンザニアの首都、ダルエスサラム郊外のティンガティンガ村には、何人もの画家さんがいて、制作をしていらっしゃいます。
大作は見事ですが、お土産物用として、ほんの息抜きに、ちゃっちゃと描かれたかもしれないネームプレートもまた、力が抜けていて楽しいものです。


このネームプレートは、アフリカ雑貨店「バラカ」のネットショップで扱っています。
絵を選ぶと、10文字以下なら、ひらがな、カタカナ、ローマ字で、ステンシルを使って名入れをしてくれます。


新しい作業棟のお手洗いにも、ティンガティンガのプレートが欲しいと思ってお店をのぞいたら、最初の購入から十年も経っているのですが、嬉しいことに取り扱っていました。


小さな板きれの中に、広大なアフリカの台地が広がっているようです。