2017年2月18日土曜日

雛飾り(二)


お雛さまは、洋服掛けの下の行李、箪笥の上の箱、棚の上の籠の中などにあるので、あちこちから集めてきました。


こんな、森永キャラメルの箱は、いつのもの?ずっと昔からお雛さまが入っています。


早世したやすおさんのお姉さんのお雛さまは、たぶん1950年代の前半のものです。
もはや戦後ではなくなっていたのか、なかなか立派な木目込みです。


昔から、ひな壇に必ず飾られていた、押絵のお雛さま。
これは、誰か身近な人が、私のお雛さまがないことを憐れんでつくってくれたものでしょうか?
私が生まれたころは、どこもお雛さまどころではなかったようでした。そのため、私のために飾ってくれたお雛さまは、母と同い年の叔母のものだった、大正のお雛さまでした。


この重箱は、お雛さまとサイズが合わないので、毎年飾るのを見送っているものです。
昔は、お雛さまそのものは祖父母が揃えてくれたりするものですが、お道具とかガラスケース入りの日本人形や市松人形は、近所の人、親戚の人などが、贈ってくれるものでした。
そのために、サイズが合わないものがほかにもあります。
尾上のじじばば(高砂のこと)も、大きすぎて、とても飾れません。
もっとも、その昔は、赤ん坊ほどもある市松人形、父のお土産の怖い顔のフランス人形などなど、なんでも飾っていましたが。


重箱は、実際に食卓で使えるほどの大きさです。
 

紙の菱餅も、実物ほどの大きさですが、それでもこちらは、数年前にやすおさんのお姉さんのお雛さまを引き取るまで飾っていました。
昔はこの蒔絵の台の上に、色粉を混ぜた桃色の餅、よもぎ餅をつくって、本物を飾ってくれていた記憶もあります。日が経つにつれて、お餅が反って三つがばらばらになり、滑り落ちたりしていました。


押し合いへし合いですが、部屋が華やかになりました。
大正のお雛さまの屏風は、金ではなく銀だったのか、すっかり黒ずんでいます。


床の間だけでなく、土間入り口にも、その他のお雛さまたちを飾りました。
この紙のお雛さまは江戸時代のもの、我が家のお雛さまの中で、最年長です。


土間入り口には、中野人形を中心に、中山人形、稲畑人形、吉野一刀彫、文字が関人形、春日部人形、嵯峨人形などなど、勢ぞろいしました。
 





4 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

圧巻ですね!個人でこれだけの数を飾っている人はいないんじゃないでしょうか?1年に1度外に出られて幸せなお雛様たちです。しかも息子さん2人なのに(笑)。
森永の箱、南方熊楠が昭和4年に粘菌の標本を昭和天皇に献上した時に使った箱と同じです!雑誌(2014年のクーネル)に載っている熊楠の持っていた箱は退色してボロボロですが、春さんのは色がそのまま残ってきれい!
春さんの桐の写真、昨日テレビで見ましたよ!桐の下駄職人の場面で使われてました。一瞬でしたが。その後の日本に一人しかいない松煙墨(しょうえんぼく)職人が興味深かったです。

さんのコメント...

hiyocoさん
ちょっと前なら、どこでも見ることができた風景だけど、今はお雛飾りも観光目的になってしまいましたね。
私のいとこの四人姉妹のお雛さまなんてすごかった、大きなお座敷一部屋からはみ出していました。いとこの一番上がやすおさんのお姉さんと同じ年代ですが、関西以西では御殿付きで、しかも大きいのが流行っていて、その大きいこと...。
ええぇ、南方熊楠があの箱を使っていたんだ!あの箱はとてもしっかりできているから、重宝したのでしょう。でも、粘菌を入れたなんて(笑)。
そうですか、桐の写真が放映されたのですね。あの桐はとっくに切られてしまっているけれど、きっと喜んだことでしょう(笑)。
毎年、春と秋の益子の陶器市では、日光下駄屋さんが出店しています。私も小学校へは運動靴で通ったと思いますが、それより幼い時はもっぱら下駄で育ちました。すぐ歯が減ってしまうけれど、桐下駄は軽くて好きでした。でも着物を着たらこっぽり(ぽっくり)も履いていましたが、昨年の七五三で、はなちゃんはぽっくりを履いて、一歩も歩けませんでした(笑)。

karat さんのコメント...

おはようございます。1950年代のお雛様、はっとしました。うちにあったのと本当に似ていて、姉が生まれたときの物だと思うので、1950年前後の物です。今はなぜか妹の家で健在ですが…。
今探しても、このようなお顔の木目込みのお雛様は売っていません…。
綺麗に保管されて、毎年飾っておられて、お雛様も幸せですね。

さんのコメント...

karatさん
人形は、意図しなくても、誰がつくってもその時代を反映した顔になってしまうというのは、とっても面白いことです。この木目込み雛にはガラスケースがついていて、違い棚のようになっています。それも多分同じなのでしょうね。
私も、息子のママ友に誘われて、木目込みのお雛さまをつくろうと材料店で、「顔」を選んだことがありましたが、70年代でしたから、顔はこれとは全然違っていました。そのお雛さまは友人の娘の初節句にもらわれていきました。
私も雛祭りなんてかまっちゃいない時代が長くありましたが、そんな時代に、karatさんの姉上のお雛さまが妹さんのところへと移動したのでしょうね(笑)。