2016年10月31日月曜日

フィリピンの美

フィリピンのエルマー・ノチャダーのfacebookを見ていると、フィリピンに、こんなにもFork Artを愛している人がいるんだ、と嬉しくなってしまいます。
最近の彼の投稿から、いくつかご紹介します。


イフガオ人の鶏バスケット。20世紀の作で、現在はUCLAのファウラー博物館の収蔵されているものです。
イフガオの住んでいるのはルソン島の北あたり、平地のほとんどない山がちなところです。そんな山道を、こんな籠を一つぶら下げて、あるいは天秤棒に通して担いで、市場を目指して歩いて行ったのでしょう。
取り出し口の蓋の絶妙さにうっとりしてしまいます。
 

こちら、ラフィアでしょうか、ござを編んでいるところです。
細い材料で編んだござは部屋に敷いたり、ベッドに敷いたりします。後ろに飾ってあるのが、できたござです。


この民族衣装も素敵、ルソン島中部のコルディリェラの先住民の着ていたもののようです。
全部クロスステッチですが、クロスステッチでも西洋のものとはまったく雰囲気の違う布がつくり出されることに驚かされます。


この衣装を着ている姿。


そして、いまのエルマーのプロフィール写真です。










2016年10月30日日曜日

松右衛門帆


夫の鞄持ち(というより、ただの付録)で、神戸、さらに脚を伸ばして鳥取県の岩美に行ってきました。


旅の目的は、夫が神戸芸術工科大学で、大学院生を相手にお話しさせていただくことでした。


そして、夫の働きにかかわらず、私がお土産をいただいてしまいました。
これは、「松右衛門帆」という布を復元した布でできたバッグとポーチです。
 

播磨の国(兵庫県)の高砂で船乗りとして生まれた工楽松右衛門(くらくまつえもん、1743-1812年)は、廻船業を経営するかたわら、帆布を改良し、築港工事法を考案して択捉島(えとろふとう)の埠頭や箱館のドックを築造した、実業家であり、発明家でもあった人です。
それまでの帆布はとても破れやすいものでした。そこで、松右衛門は改善できないものかと播州木綿で極太の糸をつくり、その糸で織った、厚手で大幅の帆布を発明しました。
この「松右衛門帆」は、やがて全国に広がり、江戸時代の海運業の発展を大いに支えました。

いただいたバッグとポーチは、その松右衛門帆を再現した布でつくられています。
 

2010年、神戸芸術工科大学の野口教授は、NPO、高砂物産協会から、消えてしまった松右衛門帆の復元と、それを使っての商品開発の依頼を受けました。野口教授らは、神戸大学海事博物館所蔵の松右衛門帆をもとに、糸の太さや織りの組織の分析をしました。

そして、経糸(たていと)に7番手の木綿糸2本による双糸と、その双糸を3本撚り合わせた極太の撚糸を使い、当時のままの2尺5寸(約75センチ)幅の帆布を、力織機を使って再現しました。
力織機は、機械ですが木製の杼を使って織るもので、播州織の産地でも今では極めて少なくなっているそうです。もちろん、江戸時代には、松右衛門帆は手で織られていました。

商品開発としては、当時の風合いを再現した温かみのある生成りの糸と、高砂の砂浜の白、海岸線の松並木の緑、穏やかな海と空の青、播磨灘に沈む夕日の赤、夜間航海の黒などに染めた糸を組み合わせて、革をあしらい、バッグなどをつくっているそうです。


ロゴマークも裏地も素敵です。
裏地は、紋織り(ジャガード織り)にして、ロゴマークを織り出した白い布や、黒い木綿布を使っています。


そして、どうやらこれは神戸芸術工科大学のオリジナルのバッグのようです。

そういえば、これまで江戸時代の帆船にしろ、それ以前の帆船にしろ、船そのものの材料に思いを馳せたことはあったけれど、どんな帆布が使われたかは、考えたことがありませんでした。
松右衛門帆は、それまでの布に比べると長持ちし、画期的なものだったに違いありません。


ちなみにこれは、青森市で復元された北前船です。
帆には、やはり松右衛門帆が使われていたのでしょうか。



 


2016年10月27日木曜日

おまけ目当て


いい年して、月刊の漫画雑誌を買ってしまいました。


目当てはこの、「超豪華ふろく」です。


大きな箱にちんまりと入っているのは、ニャンコ先生と、 漫画には出てこない(一度だけ出てきたか)のに、フィギュアにはいつも出てくる黒いニャンコ先生です。


「かわいいなぁ」


「夏目友人帳」は読みましたが、さすがに、ほかの漫画は、絵を追うのが面倒で読めませんでした。
『月刊ララ』は少女雑誌でしょうか?息子二人だったので、少女雑誌にはとんとご縁がありませんでした。
もっとも、山岸涼子や吉田秋生は、息子たちと愛読していましたが。

記:
西へ、二泊三日の予定で行ってきますので、その間ブログはお休みします。








2016年10月26日水曜日

工作再開

アスファルトを敷いて、大型の工具が使えるようになり、道具入れの引き出しづくりを再開しています。


片づけをしていたら出てきた、集成材の板二枚、何かの棚板だったものですが、幅広なので、利用しない手はありません。
ちょっと薄く削ったら、とってもきれいになりました。


棚にちょうど収まる高さに側板を取り、残りを幅にしました。
集成材はトウヒ(スプルース)のようです。1×4と同じ(似た)材料なので、引き出しの前板用も含めて引き出しはすべて1×4の古材を使い、底板はこれも残りものの合板を使うことにします。
収納するものを、切った集成材に並べてみて、引き出しに要れる量や深さを決めます。


入れるものを決めたら、引き出しの深さで割りつけをします。六段になりました。
まず側板に「受け」の材を、内側からビス止めしました。


外枠を組み立てたあと、前後にも、「受け」の木を渡します。
前後は、側板につけたものより、ちょっと太い材を使いました。


後面には、底板と同じ3ミリの合板を貼りました。
まあ、道具入れだし、誰も側面や後面を見ないので、いいのです。


引き出しは、まず枠をつくり、底に合板をビス止めしました。


次に入れるものを並べてみて、仕切り板の位置を決めます。


仕切り板をつけて出来上がりです。
組んだりするのは面倒なので、すべてビス止め、そのため、引き出しを閉めたときに底板が見えないよう、前面には化粧としてもう一枚貼り、二重になっています。
また、底板は、周囲の枠にビス止めするだけでは弱いかなと、仕切りの板にも止めてあります。


というわけで、出来上がったら、これだけ入りました。


どの引き出しもかなりの重量、中でも一番重いのがこのドリルとドリルチャックの引き出しでした。


置く位置に運び、収めてみました。

あとは、収納しなくてはならないものを、さらに並べてみて、どうするか決めます。ただ、上の方の棚には、目の線より高くなるので、引き出しを置くには無理があります。
また両脇には、手前に引き出し棚があるので、引き出しではない収納の仕方を考えなくてはなりません。


この二段の引き出しは、ちょっぴり残っていた米松でつくったものです。
30年以上前の棚板で、三枚あったのを使い切って、これ以上大きいものはできませんでした。


上の段位はノミを、下の段には文房具を入れています。
ノミは首のところに枕を当てて固定していますが、十本収めるつもりが、なんと割りつけを計算間違いして、十二本収められるように枕をつくってしまいました。
ノミが混み合っていますが、たくさん入ったのだから、作り直さないでよしとしています。








2016年10月25日火曜日

曲木の箱(三)


掌ではなくて指の上に乗るサイズの、スウェーデンの曲木の箱、おちびさんです。
きっと、ままごと道具だったに違いありません。


薄い材料でできているので、軽い、軽い。
焼きごてで線を描いて彩色した、ハート形の花のような模様は、箱の脇には色鮮やかに残っていますが、蓋の方は何度も雑巾でこすられたのか、消えかかっています。

嬉しいことに、小さいながら、あのスウェーデン独特の、片方の爪を心もち外に倒す方法で開きます。
 

この、角のような蓋の形、そんなに好きではありませんでした。
でも、これは小さいせいか、蓋の形が華やかさを出しているようで、目障りではありません。


もっとも、爪をひっかけて開閉する箱も、機能的には、蓋の先が脇へと突き出していなくても、十分に用を足します。


スウェーデンの曲木の箱は、アメリカのシェーカーボックスの底のように滑らかな楕円形でなく、どれも、段差のある曲木の胴に沿って、その形に底板を切り抜いて釘(一つを覗いて木釘)で留めてあります。
おちびさんも、薄い板ながら、段差をつけて切ってあります。


この箱は、アメリカのままごと道具のキッチンセットによく似合います。
ロールピンに、焼きごてで花の模様をつけてあるからでしょうか。


小さなものたちと並べてみました。
古い柳の籠もあるはずですが見当たらない、しかたなく、新しい籠で代用です。

以上、スウェーデンの曲木の箱たちでした。







2016年10月24日月曜日

曲木の箱(二)


手づくり感いっぱいというより、かっちりした印象のスウェーデンの曲木の箱です。


底板も含めて、一面に模様が感じられるのは、焼きごてでつけた模様でしょうか?
木瘤とか根を利用すると、こんな模様が出ることがありますが、模様とは別に年輪がはっきりと見えるので、木の瘤や根から板を切り出したものではなさそうです。
年月を経て、模様がすり減ったのか、あるいは装飾したものの気に入らなくて、削り取るように磨いてしまったのか、表面はつるつるで、模様は「かすか」に残っているだけです。


内側から見た蓋です。
蓋は、木の反りを防ぐため、木の目を縦横にして二枚貼り合わせてあります。


そして、表から見ると蓋の甲板は、二片の木を突き合わせています。
小片しか手元になかったのか、あるいは意匠として二片突き合わせたのか不明ですが、目地を取るように少し離して接着してあり、その線がこの箱のアクセントになっています。平らではなく、山形に削ってあります。


接着剤は天然の樹液などでしょうか?
胴の曲げ木の始末は、綴ってもありますが、端がしっかり接着剤でくっついてもいます。
大きさから言ってお弁当箱の大きさですが、お弁当箱だったら蓋はかちっと閉めて、持ち手もつけたいところ、いったい、何を入れていたのでしょう?
手に馴染む、手触りの良い箱です。






2016年10月23日日曜日

スウェーデンの曲木の箱(一)

 
スウェーデンの曲木の箱です。
全体に焼きごてで模様がつけられ、制作年が記されています。
1874年(1864?)につくられたものでしょうか。
1874年と言えば、もう、140年以上前のことです。
通常蓋の甲板は、曲木にかぶせるようにつくられていますが、これは底と同じ突合せ方でつくられています。制作時より、木が痩せてしまったようで、大きく隙間が空いています。


日本の場合、曲げわっぱは杉でつくられますが、北欧の場合、材料は何でしょうか?籠づくりによく使われるトネリコ、そして、白樺、松なども使われるのでしょう。

曲木を綴じるのは白樺の木の根で、曲木部分と底と蓋の甲板は、木の釘で留めてあります。

 
生木のとき裂いたであろう、へぎ板は、機械で薄く削った板とは感じが違います。
接着剤は一切使っていなくて、なんとなく隙間が全体にあります。


蓋の木釘は、6本のうち3本が失われて、ぷかぷかしていました。


そこで、こみ栓用の樫の木を削って、差し込んでみました。


とってもしっかりしました。
あと、百年や二百年は、ゆうに持つことでしょう。