2016年12月31日土曜日

紙の蛇?


先日、Bluemoonさんがいらして、蛇好きの息子のあさちゃんに蛇のおもちゃを見せていたとき、紙の蛇が壊れてしまっているのを見つけました。
おもちゃのパチンコもそうですが、輪ゴムを使ったものは劣化するので、ときどき、新しいものと替えてやらなくてはなりません。
この蛇たちも、もう何度か輪ゴムを取り替えています。
 

蛇のおもちゃには、粘土(紙粘土?)でつくった車が入っていて、孔が二つ開いています。


まず、輪ゴムを切ってその孔に通して、また「わ」になるように結びます。
車に巻いてある糸を、いっぱいに巻いた状態で、両脇の針金などの突起に、輪ゴムを掛けます。糸は蛇の頭に開いた穴から外に出ていて、そこに抜けないようにつまみがついています。


これで出来上がりです。


畳んであった身体の紙を伸ばし、車に巻いてある糸のつまみを引っ張ると、車が回って輪ゴムに撚りがかかります。


そして、糸を緩めると、車が元に戻ろうと回転して、蛇が前に進むというわけです。
 

このおもちゃも、もともとは中国生まれでしょうか、上はフィリピンのもの、下はタイのものです。
よくは覚えていませんが、路上のもの売りから買ったものだと思います。


タイの蛇はすっかり色褪せてしまいました。


と、ここまで書いて、タイの手づくりおもちゃの本を広げて見ると、「ノン・ドゥーン」と書いてあります。
「えっ、歩く虫だって!」
あぁ、長いこと蛇だとばっかり思っていたのに、芋虫だったのでしょうか?


まだ、これが芋虫であるとは、納得のいかない私です。

そんなこんなで、2016年を無事に過ごすことができました。
2017年も、みんなでよい年にしていきましょう。








2016年12月30日金曜日

お正月飾り


お正月飾りをつくりました。
まず、伐り倒して転がしてあった柳の枝を拾ってきたものに、米粉を熱湯で練ってつくった餅花を咲かせます。
 

何年か前に、餅花をつくるためだけに買ってきた食紅を混ぜて、赤い花もつくります。


竹を立てて、その中に柳の木を挿しました。


繭玉の鯛を飾ると、一気に華やかになります。
というか、鯛だけ、特別に大きいのです。


完成です。
鯛に海老、大判小判、鶴に亀、恵比寿大黒、米俵に宝船、だるまに提灯などなど、おめでたいものばかりです。
ところで、どうして蕪はおめでたいの?蕪もあります。


米粉のおせんべいでできた繭玉は、十年くらい前に買ったもの、こよりは自分で撚って、平面的なものには水で貼りつけ、立体的なものはこよりをはさんで、縁に水をつけて貼り合わせてつくりました。


土間入り口も、クリスマス飾りから、選手交代です。


鯛たち。


獅子舞いたち。


そして、干支の鶏たちです。


太平洋側では、お正月まで、そしてお正月の間もしばらく良いお天気が続きそうです。








2016年12月29日木曜日

贅沢なガチャガチャ

石岡の街に、鮮魚をさばいてくれるスーパーマーケットがあり、ときおりお刺身が食べたくなった時、行ってみることがあります。イサキ、イナダ、スズキなど、折々の鮮魚があって、パックのお刺身と同じほどの値段で、その何倍ものお刺身が食べられる上、あらで潮汁までつくれます。

スーパーマーケットには、大きな100円ショップが併設されていて、入り口あたりにはガチャガチャが並んでいます。
100円ショップの入り口に200円のガチャガチャでは、誰も買わないよなと通り過ぎようとしたとき、その中にニャンコ先生のフィギュアを見つけてしまいました。


馬鹿だねぇ。
100円ショップの店頭で、200円のガチャガチャをやってしまいました。


100円玉が三枚しかなかったのが幸い、一回しかやりませんでしたが、もう一枚あったら、きっともう一回やったことでしょう。


しばらく、そのスーパーマーケットに行く予定がないのが、不幸中の幸いです。
ん?幸い中の不幸でしょうか?





2016年12月28日水曜日

耳守神社

夫の耳は、最近、とみに聞こえが悪くなりました。
三、四年前、突発性難聴になったとき、病院に行くと、
「すぐ入院して、一週間ほどステロイド漬けにするとよくなる」
と勧められました。
ステロイドと聞いた夫は、
「ちょっと、考えさせてほしい」
と、言って帰り、そのまま入院はしなかったので、耳は聞こえにくくなったままになりました。

その後も、もう一方の耳がやはりある日突然聞こえ難くなり、両耳とも症状が進んだりして、私は日増しに声を張り上げる生活となりました。デリカシーも何もあったものではありません。
人が来たのを、遠くにいる夫に知らせたいとき、私が、
「おぉい」
と呼ぶと、たいてい笑われたり、あきれられたり、心の中で「ひどい人だ」と思われたりしてしまいます。
でも、夫の耳が悪くなってから、私は深遠な事実を発見したのです。どんな言葉より、名前を呼んだりするより、
「おぉい」
が、一番聞こえやすいのです。

さて、気になっていた、耳守神社に寄ってみました。


耳守神社は、人家の途絶えた畑の中の丘の上にあり、静寂に包まれていました。
足の悪い人がお参りする足尾山神社が、足の悪い人はとても登れないような山の頂上にあるのと比べると、耳守神社は石段を数十段登るだけで、お参りできます。


竹が用意してあるのかと思っていたけれど、竹は自分で持ってこなくてはならないようでした。
 

いろいろなお願いのある中で、


お礼の書かれたものもあり、希望が持てます。

夫は、この一月ほど補聴器を試していて、いろいろ試したり、調節したりして、やっと買いました。
補聴器の調整に、何度か足を運んでくださった男性は、いつも普通の声で穏やかに話されました。補聴器をしているとはいえ、あれが全部夫に聞こえて普通に会話しているのに、どうして、補聴器をつけていても他の人の声は聞こえないのか、不思議に思えるほどでした。

さて、私はこれから、一日中声を張り上げて、怒鳴っていなくてもすむでしょうか?
補聴器が順調に働いて、耳守神社のお加護もありますよう、願うばかりです。






2016年12月27日火曜日

エプロン盗作事件


O.Yさんがエプロン(割烹着)を忘れていきました。
前から、
「素敵だなぁ」
と、ちらちら見ていたエプロン、直線裁ちなので、型紙を起こしてつくってみることにしました。
O.Yさんのはエプロンの布は、ちょっと厚手の藍の細い縞です。
インドの手紡ぎ手織りの布、カディーでしょうか?


私もカディーのエプロンを一枚持っていて、それは藍より白が勝った縞です。


でもO.Yさんの布より柔らかくて、しなしなしています。


裁縫は、選んだ布により、元気が出たり、出なかったりします。
例えば、元は布団カバーで、ちっとも傷んでないので取っておいた布なんかでつくると、途中で、
「別に捨ててもよかったんだから」
と、どうでもよくなってしまったりします。
だから、使うにはちょっと惜しいような、気に入った布でつくるに限るので、上海布を使うことにしました。


上海布っていったい何でしょう?
その昔、三重県の骨董屋而今禾(じこんか)が益子の雑貨店に出展していたのを買ったもの、而今禾以外では上海布という言葉を使っていないので、どんなものかよくわかりません。


幅は約53センチ、カディーのように手織り機で織った布にしてはかっちりとしていて、かといって現代の織り機で織った布でもなく、ちょっと昔の力織機で織った布のような感じがする布です。
「足りるかな?」
型紙をあててみると、ぎりぎり足りて、端布もほとんど出ませんでした。


布は幅が53センチしかないのに、O.Mさんのエプロンの幅は約60センチあります。
もちろん、横幅が53センチもあれば十分着られますが、絶対に幅はたっぷりしている方が素敵です。布を横に使うことにしました。


「さぁ、訪問者の立て込まないうちにやっつけるぞ」
O.Mさんにエプロンを返す約束の日までにつくれば、細かいところを参照できると、先々週だったか、雨の日につくりはじめました。
ところが、布が重なって厚くなったところで、決まって上糸が切れます。はずみ車を手回ししながら進めてみると、針が悪いのか、針と布が合っていないのか、布が重なって厚いところではなかなか針が引き抜けず、そうこうしているうちに糸と針の関係が狂って切れることがわかりました。
何度も眼鏡を二つかけて糸を通し直しましたが、そのうち、重なったところでは、切れないように手回しで縫うことにしました。
四苦八苦、八苦十六苦でした。


雨だったから裁縫日にしたその日、夕方にはすっかり晴れました。
そして、エプロンはその日には出来上がらず、O.Yさんにエプロンを返してからも、しばらくはミシンに向かう時間が取れませんでした。


そして、やっと取り掛かったのは、縫いはじめて十日以上経ったころでした。


エプロンの後はボタン二つで留めてあります。


ボタンホールは、今のミシンではつくったことがなかったので、端布で試してみたらうまくできません。
手縫いの方がましとやってみたら、久しぶりでしたが、手はちゃんと覚えていました。


完成しました。
布を横に使ったため、O.Yさんのエプロンより丈が短くなったのにこの長さ、とっても温かです。
O.Yさん、ありがとう、なんて、密かに型が盗まれたことなんて知らないよね?
忘れものには気をつけましょう。








2016年12月26日月曜日

籠師の吉田さん

見上げるたびに、毎日の気分を爽快にしてくれていた籠玉ですが、今年の八月二十ニ日に強風で小玉がすべて飛び、大玉も外れ、壊れてしまいました。
かつて、茨城県から福島県にかけての太平洋岸の地域には、男の子が生まれると、鯉のぼりとともに籠玉を揚げる風習がありました。
籠玉は、揚げっぱなしにしておくと、二年ほどで傷んでしまいますが、昔は毎年、五月の節句時に、揚げて降ろしていました。
集落の人々に声をかけ、数十人で揚げたり降ろしたりした後は、ご飯やお酒をふるまっていた、それはそれで大変だったそうです。

「籠玉が飛んじゃって残念だなぁ。もう一回買うか?」
「また傷んじゃうから、もったいないよ」
そんな話をしたのは、しばらく前でした。
昨日また、籠玉の話が持ち出されました。
「やっぱりいいよなぁ、籠玉。今まで出しっぱなしだったけど、5月だけ挙げておくというのはどう?」
「降ろしても、置き場所がないと言っていたじゃない」
籠玉は、地上で見るととっても大きいものです。
「作業棟の下屋の軒下に置くのはどう?梁の上に上げたら、じゃまにならないだろう」
「そうか、それだと大丈夫かもね」
「ちょっと、見に行ってみようか?」

というわけで、二年半ぶりに籠玉をつくっている吉田平さんの家に行ってみました。


庭のあちこちに、孟宗の青竹が積んでありました。
「まだ、竹を採ってきたのをやっと片づけたとこ。編むのはこれからだよ」


籠玉は高いところで風雨にさらされます。
真竹だと肉薄で、どうしても早く傷んでしまうので、小さい玉だけ真竹でつくり、あとは孟宗竹でつくるそうです。


「伐るのも、編むのも力が要りますねえ」
「そうよ。今日も今まで片づけていたんだけど、くたびれちゃって休んでいたの」
と、84歳の吉田さんは、にこにこしていました。


仕事場も見せていただきました。
「自転車籠もつくられるんですね」
「何?」
「四角いの」
「あぁ、ここらじゃ配達籠って言うんだよ。あれはまだ途中だよ」


床には編んでいる途中のひごが置いてありました。


六角形がきれいです。


出来上がりはこんな、装飾的な籠になるようでした。
本も広げてあったので、試作かもしれません。


お祭りの、なにか飾りにするようなものもありました。


興味津々、伏せて鶏を飼っておく鶏籠のようなものもあったし、
 

帽子のような形の籠もありました。
カゴメ編み、そして大きいものがお得意と拝見しました。


この背負い籠も美しいものでした。
「いろんな籠をおつくりになるんですね?」
「あぁ、何でもつくるよ」

かつては、北茨城の方の籠玉の注文も受けたけれど、今はそうたくさんはつくれないので、近隣の注文だけこなしているそうです。
「籠玉はいつ要るの?今年中でもできるよ」
「ええっ、今年中って、もう一週間もないですよ」
「ああ」
びっくりした。
13個も小玉を編むのが手間だと聞いていたのに、年末までにできるというのです。
「そんなに急ぎませんよ」
結局、一月の終わりまでに仕上げてくれることになりました。楽しみです。