2016年5月24日火曜日

母の銅板


展示室のほこりを払っていたら、四角いアタの籠に銅板を切って叩いたものが入っていました。
その昔、母が七宝焼きのブローチなどをつくっていましたが、その下ごしらえをしたままで、もうつくらないからと、私によこしたもので、棚のあたりに、とりあえずと思って、ばらばらさせていたものでした。
母は、妹との同居を決めて身辺整理をしたときに、要らないものの始末を全部私に託しました。その中には、箪笥やお雛さまもあれば、母のアルバム、父と母の間にかわされた書簡、何十年分の家計簿などに交じって、誰だかわからない、古いご先祖さまのお位牌などもありました。

母は、細い線で草花を描いたような七宝を焼いていて、私もいくつもブローチをもらったのですが、親不孝にも全部失せてしまっています。


わずかに、ブロンズの鉢に貼ったものだけが残っています。
と、思い出にふけっていたら、
「おいおい、この籠は、メキシコの台所道具のミニチュアが入っていた籠じゃないか。誰だ?銅板を突っ込んだのは」



銅板を取り除いてみたら、埋もれていた台所道具がでてきました。


棚をつくったりして、きれいにアレンジして額にしようとしていたのですが、なかなか手がつきません。
ここはひとまず、籠を母の銅板に譲っておいて、台所道具を避難させることにしました。


すぐ近くに、夫の母が遺した籠があったので、それに入れておきました。
しかし、銅板をこのまま残しておいてどうするのか、台所道具を籠に入れておいてどうするのか、ただ、解決を先送りしただけのような気がします。






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