2016年2月25日木曜日

瓦職人さんたち

いつも、瓦屋さんは一人か二人来て、しこしこ並べて、とんとん釘を打っています。
まず軒先に一列並べて軒を決めてから、まっすぐに上へ上へと瓦を敷いていきます。



ところが、昨日は親方のSさんを含めて、どかどかと五人も来ました!
そして、みんなで足場を動かしたり、運んできた瓦を並べたりしたあと、四人が一斉に各自の持ち場を決めて働きはじめました。


平らな瓦を葺くだけでなく、寄棟の端の瓦をグラインダーで三角に切ったり、一番上で壁にぶち当たって長さが合わないものを短く切ったりしています。

 
これが一昔前、いや半世紀前だったら、当たり前の光景だったかもしれません。また、職人さんがみんな高齢者だったら、驚かなかったことでしょう。ところが、若い親方のもとに集まっている職人さんたちは、みんな、「若いお兄さん」です。

足場屋さんにも、若い人がいました。でも足場屋は全国に展開する大きな会社だし、ハウスメーカーの仕事もしているようですから、若い人たちがいても不思議ではありません。
ところが瓦屋さんは個人経営ですし、ハウスメーカーやビル全盛の時代の日本瓦です。いくら技能五輪全国大会で優勝した優秀な親方だとしても、どうしてこんなに職人さんが集まったのか、ちょっと不思議に思ってしまいます。
 

大人数の力はすごい。
夕方には、切妻の端などもできて、棟瓦など、飾り瓦を残すだけになりました。


作業棟の建設に関しては、材木屋さんも、プレカット屋さんも、上棟を手伝ってもらった大工さんも、母屋のときと同じ顔ぶれでした。
ところが瓦屋さんだけは、以前と違いました。
十年前にはいろいろな事情でSさんとはつながらず、他の瓦屋さんにやってもらったのですが、今回Sさんとご縁があり、お願いすることになりました。
Sさんの家は八郷きっての老舗で、今でも唯一瓦を焼き続けている瓦屋さんです。お寺の葺き替えや土蔵のために特殊な瓦を焼くなど、Sさんは何にでも意欲的に取り組んでいます。

神戸地震のとき、日本瓦は地震には弱いと言われました。そのため、ただでさえ少なくなっていた瓦葺きは、さらに減少したことでしょう。でも実際は、壊れたのは昔の家屋の瓦でした。昔の瓦は並べただけで、一枚一枚留めていなかったのです。
我が家の母屋の瓦は、2011年の地震で、寄棟の一ヵ所だけ、棟瓦の下三分の一ほどが落ちました。庭に座って、家が揺れるのを見ていて、これほど揺れれば、家が壊れても仕方がないと思ったほどの揺れでした。
だからそのときは、瓦だけで済んだと胸をなでおろしたのですが、修理してもらった後、三枚おきにしか銅線で留めてなかったと瓦屋さんに訊きました。茨城にはそれまで大きな地震がなかったので、瓦屋さんもそうしたのですが、全部銅線で留めてさえあれば、問題はなかったのです。

風土に溶け込むいぶし瓦、やはり素敵だと思います。しかも、ガルバリウム(鉄板)葺きの倍くらいの値段でできます。


昨夜は雪が降って、この冬初めてですが、薄く積もりました。
というのに、瓦屋さんたちが来ました。そして、白い息を吐きながら梯子を上って、みんなで風を送る機械で雪を吹き飛ばしています。あっという間に雪は吹き飛ばされていきます。

我が家に一番よく来ている職人さんは高知の人だとか、八郷では、生まれも育ちも東京の東京もんは珍しくありませんが、土佐っぽは珍しいので、いずれ作業が終わったらSさんに、職人さんたちについていろいろ訊いてみたいと思っています。








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