2016年1月4日月曜日

赤いプラトーク


お正月に、母の家で会った息子に、セミョーノフのマトリョーシカをもらいました。
セミョーノフのマトリョーシカの顔を、怖いとみるか、かわいいと見るか意見が分かれると思いますが、私はかわいいと思います。
しかも、なかなかの美人さんです。


七つ入れ子になっていて、一番目と二番目の娘のプラトークの色は赤、三番目と五番目の娘は渦巻き模様になっています。
 

一番外側なのに、どうしてプラトークの色は褪せなかったのかしら?
とっても魅力的な赤が残っています。


左右は、すでに持っていたセミョーノフのマトリョーシカたちです。
右のマトリョーシカは台座がないので、これまで一番目が失われたのだとばかり思っていました。


ところが、台座のないマトリョーシカの底(右)をよく見ると、うっすらですが印が残っています。
入れ子になっている二番目の娘に印が押してあることは、まずありません。
そして、左が一つ上の写真の左のマトリョーシカですが、印はよく似ています。
もともと台座をつけないマトリョーシカも、まれにあったようなので、これは一番目の娘なのかもしれません。


以前からいたマトリョーシカたちと、息子からもらったマトリョーシカの違いは、なんといってもプラトークです。


また、息子からもらったマトリョーシカは、袖口に赤く彩色してあるのも特徴です。


底には、Made in USSRの印があります。
『マトリョーシカ ノート3、改訂版』(道上克著、2013年)によると、この印が押されているのは、だいたい1960年代につくられたもののようです。
そして、もとからいるマトリョーシカたちは1970年代だと思っていましたが、これらも印から60年代のものかもしれません。


ソヴィエト連邦時代は、すべて分業でつくられていたと聞きます。顔を描く人も違っていたのでしょう。小さい娘の中には、ちょっと不気味な顔の子たちも混じっています。






4 件のコメント:

karat さんのコメント...

春さん、本年もどうぞよろしくお願いします。
本当に、このマトリョーシカさんおちょぼ口色白でかわいいですね。後ろの方の子は確かにちょっと怖い感じの顔ですが、何しろ顔のあご部分がマトリョーシカのくびれより下にあって前にせり出しているのは、よくありますが怖いです。(2番目さんも第一子みたいな存在感ありますね。)
 ロシアのマトリョーシカは分業で、絵付けするのと、轆轤できちんとはまるように順に白木のマトリョーシカを作るのとどちらが大変かというと、後者の方が何倍も大変ですごい技術だと思います。白木を作った方は、もっとかわいく描いてよ…と思ったかもしれませんね。
 でもあの特徴的な絵付けがあってはじめて、マトリョーシカは世界中に広がったのかもしれないし、それで今では白木の市場も世界中に広がったかもしれないです。少なくとも日本には少しずつ広がっているみたいな感じです。ロシア製の白木が一番です。

さんのコメント...

karatさん
今年もよろしくお願いします。
この子たちも、あごは滑り込みセーフといったところでしょうか(笑)。そう、二番目の娘もなかなか存在感があります。
轆轤と絵付けの分業はあたりまえというか、今でも轆轤は主に男性の仕事、絵付けは女性の仕事みたいですが、ソ連時代には、顔を描く人、塗るだけの人、スタンプだけの人、などなど細かく分かれている方が当たり前だったようですね。確かに、マトリョーシカ=セミョーノフ全盛の時代があって、量産して、それで轆轤技術も発展して、轆轤人口もそこそこあって、それが今日にまで手仕事の技術を伝えることになっているのは、本当によかった(他人事ですが、笑)と思います。
古いマトリョーシカの中には、ちょっと緩いのもありますが、何十年経っても、99%(95%?)はきっちりはまって、開け閉めも楽だという、轆轤の技術というのは驚異的です。

じつは、しばらく前に次男から「好きかどうかわからないけれど、いろんな人形がもらえるんだけどいる?」という電話がありました。「いるいる」と言ったのに、あのマトリョーシカ以外は捨てられてしまったそうです。「スペインとかロシアの人形だったけれど、目がぱっちりしている民族人形みたいで、好きかどうか。このマトリョーシカは気に入ると思って」と息子。ほかの人形も見たかったです(笑)。

Blue moon さんのコメント...

昨日夕食を食べながらマトリョーシカのことを話題にしていました。ハンガリーで、入れ子マトリョーシカと、ひとりマトリョーシカが販売されていたようです。ひとりマトリョーシカは、中にスポンジが入ってあって、針山として使うようでした。かわいらしく安全ですよね。ほしくなりました。

さんのコメント...

Blue moonさん
マトリョーシカは、長い間ソヴィエト連邦の外貨稼ぎの旗頭でした。
ヨーロッパ向けのもの、アメリカ向けのもの、日本向けのもの、それぞれ少しずつ違っていますから、各地の傾向と対策をしっかり押さえていたのでしょう。ネット時代になって、ドイツの雑貨屋を覗いたり、アメリカのeBayを覗いたりして、初めて違いに気がつきました。
日本では、マトリョーシカと言えばセミョーノフばかりだったような気がしますが、日本の骨董市でマトリョーシカを集めた人の本を見ると、いろいろあるのでびっくりさせられます。もっとも、今頃になってヨーロッパから流れてくるものもあるようですが。
針山マトリョーシカはヨーロッパでよく見られ、アメリカではボトルカバーの需要がたくさんあったようでした。
確かに針山のマトリョーシカはどこにでも置けて安全ですね。私も欲しくなりました(笑)。