2015年10月31日土曜日

すっきりした!

新聞に毎日入ってくる折り込み広告、ただの一枚も見ることはありませんが、そのまま捨てるのも気が引けます。当節の紙は、紙と言ってもほとんどプラスティックだそうで、紙として再生できるのかどうか、気になるところですが、一応紙ゴミとして決められた日に捨てています。

折り込み広告は何年も、新聞店からもらう紙袋に入れて、目立たないところ、でも毎日のことですから入れ易いところに置いていました。
新聞入れの紙袋は、何も入っていないときは立ちにくくて、両側のアルバムやら何やらが、倒れかかってきて、つぶされそうになります。それに、増えれば増えたで袋がゆがんだり、上がつぶれたりして、とにかく、できれば目にしたくないものでした。

 
これではいけないと、解決方法をさがしていましたが、しばらく前に新聞入れの籠を手に入れました。
折り込み広告だけ入れるにはもったいないような、美しい籠です。


持ち手がジュートでできていて、縁もジュートでかがってあります。


姿は軽やかできゃしゃですが、紙という重いものにも耐えるようにつくられていて、しっかりしています。


中身が見えない籠や箱に入れるより、気に入っています。


というわけで、長い間本棚の下、しかもこの写真の左側の方の目立たないところに置いてあった折り込み広告入れは、目につくところに引っ越して、毎日目を和ませてくれています。
読み終わった新聞は一週間ごとにもらわれて行くので、折り込み広告とは別に、こちらはずっと前から、カンボジアのバケツに入れています。


折り込み広告を入れる籠の横は犬のうなぎの水飲み場、棚の上は猫のトラの食事場です。
猫はちょいちょい餌を残すので、犬が残りを食べてしまわないように、上に置いてあります。






2015年10月30日金曜日

ご長寿文房具


のらさんから届いた通信をファイルするために穴を開けながら、
「このパンチとも長いつき合いだなぁ」
としみじみ見てしまいました。30年以上です。

形がいいわけではないし、使わないときは場所をとって邪魔になる大きなパンチ。
新聞の切り抜きやら、資料のファイルやらで、ほぼ毎日のように使っていた時期もあったけれど、いまでは月に一度の出番があるかないか。


それでも、ないと困ります。
紙の大きさによって調節できるガイドがついているのが邪魔だけれど便利、普段はデスクの足元に転がしています。


古いつき合いと言えば、紙の裁断機はもっと古い、40年以上のつき合いです。
重いものなので、車で移動していたカメラマンの友だちに買ってきてもらったものです。
最初は、もっぱら家族の写真を切って、組み合わせてアルバムをつくったりするのに使っていました。
「くれぐれも、一枚だけ切ってね。それからハンドルは自然に降ろして、絶対に刃を内側に寄せるようにしちゃだめだよ。そしたらいつまでもきれいに切れるから」
と言われ、私は律義に、
「まっすぐ降ろす、まっすぐ降ろす」
と唱えながら使っていました。

友人の忠告は夫にも伝えたはずでしたが、ふと見ると、コピー用紙を数枚重ねて切ったりしていました。
「だめでしょう。一枚ずつよ」
「えっ、そうだったっけ。面倒だなぁ」
もともと、頭に入れておこうという気がないので、油断も隙もありません。


カッティングボードも大小いろいろ持っていますが、裁断機とはちょっと用途が違うような気がします。
こちらも、タイの英字新聞切り抜きをしていた頃は、なにせどの記事も長いので、なんとかきれいにA4の台紙に収まるよう、小さいカッティングボードは常に持ち歩いて、暇さえあれば新聞を、切り刻んでいたこともありました。


裁断機は、今では名刺くらいしか切りません。
ちょっと刃を内側に寄せないと、紙によってはきれいに切れないことがあります。誰かのせいだと思っていますが、まあまあ切れるので、よしとしています

どちらも、新しいものを改めて買うほどのものではないので、これからも、つき合いは続きそうです。






2015年10月29日木曜日

『もぐらとずぼん』


『わたしのスカート』で、アジアの麻、大麻(たいま=ヘンプ)の糸のつくり方を見たので、チェコスロバキアの絵本、『もぐらとずぼん』(エドアルド・ペチシカ文、ズデネック・ミレル絵、うちだりさこ訳、福音館書店、1967年)で、西洋の麻、亜麻の糸のつくり方も見てみたいと思います。

もっとも、『もぐらとずぼん』の絵は単純化されているし、もぐらがずぼんを手に入れるのですから、実際とは違っていますが、基本は同じだと思います。


ある日、もぐらは素敵な青いずぼんを見て、欲しくなります。


どうすれば青いずぼんが手に入るか、誰に聞いても知りません。
そんななか、えびがにが、
「布を持ってきたら、ずぼんの形に切ってあげるよ」
と言ってくれました。


また、よしきりは、
「ずぼんの形に切った布を持ってきたら、縫ってあげるよ」
と言ってくれました。
でも、肝心の布をどこで手に入れたらいいかわかりません。


もぐらが泣いていると、青い花が、
「わたしの雑草をとったり、虫を追い払ってくれたら、ずぼんが手に入るわ」
と、もぐらに声をかけました。
青い花は、亜麻(あま=リネン)でした。


もぐらは、亜麻をかじっていた虫を追い払い、亜麻の成長を妨げていたタンポポやアザミを抜き、


せっせと水遣りもしたので、亜麻はすくすくと育ちました。


十分育った亜麻は、もぐらに糸のつくり方を教えて、自分を抜くように言いました。
もぐらは亜麻を抜き、亜麻に教えてもらったとおりに束ねて、水辺に運びました。


川で、茎が全部が水に浸かるように重石をして、しばらく置きました。
表皮を腐らせるため、実際は、2~4週間水に浸します。


表皮が腐って繊維がむき出しになった亜麻の茎を干します。


それをコウノトリの噛んでもらって、堅い茎を砕きます。


ハリネズミの針を利用して、梳かせてもらいます。


ふわふわと柔らかい、麻の繊維が採れました。


その繊維を、蜘蛛に撚りをかけてもらって糸にします。

ここで、繊維と繊維をどうやってつなげているのか知りたいところです。綿を紡ぐときのように、ただ引っ張ればそのままのびて、引っ張るのをやめてスピン(撚り)をかけたら次の麻とからまって、つながっていくのでしょうか?
ネットで探したら、亜麻を紡ぎ車で紡いでいる動画がありました。やはり綿と同じように紡いでいました。
亜麻の紡ぎ方は、大麻や苧麻(ちょま=からむし)の紡ぎ方よりずっと簡単だったのですね。


コケモモでで糸を青く染めます。


そして、蟻に頼んで、布を織ってもらいます。
糸の染め方と布の織り方は、あまり参考にはなりません。
織り機の綜絖(そうこう)はきちんとしていますが、筬(おさ)がありません。


できた布を持って行くと、えびがにがずぼんの形に裁ってくれました。
絵を見る限り、とうていずぼんができそうにない裁ち方ですが。


そして、よしきりが縫ってくれました。


もぐらくんは、とうとう青いずぼんを手に入れました。
ポケットに入れているのは、もぐらが土の中で見つけた宝物たちです。

ウィキペディアより
 
亜麻は寒いところで育ち、日本では北海道のみが適地です。






2015年10月28日水曜日

『わたしのスカート』


福音館書店の「たくさんのふしぎ」シリーズの、『わたしのスカート』(安井清子文・写真、西山晶絵、2004年)は、長い間ラオスでモン人に寄り添って暮してきた、今でもラオスに住んでモン人と共にある安井清子さんが書いた、安井さんにしか書けない素敵な本です。

ラオスは山の多い国ですが、小さな平地にはラオ人が住んでいて、山地にはモン人など、いろいろな民族グループの人たちが暮しています。
その、山の村に住むモン人の小学2年生のマイが、はじめておかあさんにモンの伝統的なスカートをつくってもらうお話です。
西山晶さんの絵も、このお話にぴったりの想像力を広げる絵で、まるでモンの村を訪れたような臨場感があります。

絶版になっていて、手に入れることも難しいと思われるので、ここにほぼ全体をご紹介しても、許していただけると思います。


山の村に住むマイは、日ごろはモンのスカートではなく、ラオスのスカートであるシンを身につけています。
 

マイの住む村の外れに小学校の分校がありますが、ここに通えるのは2年生までです。3年生からは、山道を一時間以上歩いて、自動車道路に近い、ふもとの町の本校に通わなくてはなりません。

ラオスでは、シンは小学校の制服(かそれに準じるもの)として扱われていた気がします。マイのおかあさんは、シンではなくて、女性の普段着のサロン(腰巻)を身につけています。


学校の様子です。
教育は、モン語ではなくラオス語で行われます。


ある日、おかあさんがマイに、
「お正月までに、新しいスカートをつくってあげようね」
と言いました。


マイは喜びますが、すぐできるわけでありません。
まず麻の種を蒔きます。


やがて、育った麻を収穫します。
 

麻は、刈り取ったその日のうちに余分な枝葉を落とし、四、五日、天日干しにします。


乾いた麻の茎をしならせて、皮の繊維と堅い茎のあいだに指を突っ込み、おかあさんが麻の皮をはいでいきます。


はいだ麻の皮の束を合わせて、大きな麻玉ができました。


その麻玉から、麻の繊維を一つかみずつとっては、おかあさんは暇さえあればつなげます。

ウィキペディアより、麻の繊維

しばらく前に、フィンランドから我が家にやってきたPさんは、小さい頃お母さんが麻を育てて糸にして、それを織って、服やシーツなど、家のすべての布をつくっていたと話していました。 日本も含めてちょっと前まで、麻がもっとも身近な繊維だった文化が、世界中に広がっていました。

麻とは、大麻(たいま=ヘンプ)、苧麻(ちょま=からむし)、亜麻(あま=リネン)などの総称ですが、ここでは大麻です。その茎の繊維を、どうつなげて糸にするのか。いろいろな地域でいろいろなやり方があります。


おかあさんは、出かける時も、麻の繊維をつなぎながら歩きます。つないだ麻は、片手に8の字に巻きつけていき、手の甲に巻いた麻の繊維がいっぱいになるとはずして、新しい巻きをはじめます。


こうやってつないだ麻の繊維を巻いたものを、家の梁に並べておきます。


そして、全部つなぎ終わったら、撚りをかけます。


撚りをかけた麻糸は、「かせ」にします。
「かせ」を大きな鍋に入れ、灰を加えて三日間煮ると、糸は真っ白になり、柔らかくなります。


モンのスカートは、着る人が両手を広げた四倍の長さの布を、上下三段に接いでつくります。
ということは、着る人が両手を広げた長さの12倍の布を織らなくてはなりません。


一番上は白いまま二段目はろうけつ染した布にさらに赤い布でアップリケをしたもの、そして裾には総刺繍した布をつなぎます。


真ん中の布は、ろう(蝋)で模様を描き、藍で染めてから布を煮て、ろうを取り除いて模様を出す、ろうけつ染めの方法で染めます。

ろうけつ染めに使う蜜蝋(みつろう)を採るために、蜂の巣を採ってくるのは、おとうさんの役目です。


蜂の巣を10分ほど煮ると、溶けます。


それを水に落とすと、ろうが固まります。これが蜜蝋(みつろう)です。


おかあさんはまず、染める布を丸太と石の板にはさんで、ゆさゆさとゆらします。すると、布はアイロンをかけたように滑らかになります。
次に、囲炉裏のそばにすわって、蜜蝋を温めて溶かしながら、おとうさんがつくった道具で、布に模様を描いて行きます。


おばあちゃんが、石灰石を拾って来ました。
ふいごで風を送って、石灰石を高温で焼きます。

村の人たちが共有して使っている石焼場のようです。丸太をくり抜いてつくってあるらしいふいごが素敵です。


その焼けた石を水に入れると、ほろほろと崩れ、白いドロドロの液体になります。


畑から藍の葉を採って来て、ドラム缶いっぱいの水に浸します。
3日間浸したあと、葉を取り除くと、水は薄い緑色になっています。そこに、石灰石を溶かした液を加えてかき混ぜると、薄い緑色だった水は青くなり、泡がたってきます。


そこに、ゴマ粒のような小さな種を噛んで、唾と一緒に藍の液体に混ぜます。


おかあさんがいろりの灰に水を注ぎ、布でこして「灰汁(あく)」をつくります。
その灰汁に、おばあちゃんのつくった藍の染料を入れます。そして、おかあさんが蝋で模様を描いた布や、裾の刺繍をする布を染めます。


藍は、一度では濃く染まりません。染めては干し、干しては染めると、だんだん濃い色になっていきます。


裾の布には刺繍をします。
 

裏を見ながら、たてよこと刺しますが、見てない面(表)で糸を交差させます。
表替えしてみると、きれいなクロスステッチができています。


おかあさんが蝋で模様を描いて染めた布のぎざぎざ模様の上に、赤い布をリボンのように細く切ってアップリケします。
  


刺繍もアップリケもすべてできました。その布をつなぎあわせてから、おかあさんがつまんで細かいプリーツをとり、何ヶ所も強い糸で縫い縮めて、馴染むまで置いておきます。


おばあちゃんが抱いているのは、おばあちゃんの結婚式のときに着たスカートです。おばあちゃんのおかあさんがつくってくれたもので、あまり嬉しくて一度着たきり、またプリーツをとって、たいせつにしまっています。


さて、陸稲(おかぼ)の収穫も終わり、


お餅を搗いたりして、お正月の準備が整いました。


普段はシンを着ているマイは、初めて自分の、モンのスカートを着られることになりました。


マイの嬉しさが伝わってきます。
絵の素晴らしさとも相まって、本当に素敵な絵本です。