2015年10月26日月曜日

ラムネビン

先日の骨董市で、まことさんの店をのぞいたら、小さな、六角形のラムネビンがありました。
あぁ。ラムネビン好きなんだけどなぁ。
手に取ってみると、中の玉が底まで落ちています。
「おやっ、欠陥品かな?」
と、三本あったビンをチェックしてみたら、全部、玉が底まで落ちていました。

その日は、まとこさんの店には、染めつけの豆皿や小皿、そのほか細々した素敵なものがいっぱい並んでいました。
金継ぎした豆皿や箸置きほどの豆々皿、かわいくて見飽きませんが、二人暮らしの我が家にお皿をこれ以上増やすのは無謀です。
と、小さな小さなひょうたん形のニッキ水のビンが目に入りました。ニッキ水のビンは無色透明のものがほとんどですが、青みがかった色をしています。
これは値段を聞かないわけにはいきません。
「これいくら?」
「一個500円でいいよ」
「ラムネビンは?」
「そうだなぁぁ。全部買う?そんなにはいらないか」
「買う、買う」
即座にその気になっています。
「じゃぁ、全部で2000円」


というわけで、ガラスビンたちがやってきました。
ニッキ水のビンはずんぐりタイプで、高さ60ミリ、直径35ミリの小さなものです。


どちらも、型からはみ出た、薄い薄いバリが残っています。未使用のものかもしれません。
底がぽってりと厚くなっているのはどういうことでしょう?ニッキ水のビンは普通は薄手で軽いものです。そのため、2011年の地震のときには高いところから落ちたのに、軽さゆえか、一本も割れませんでした。


なりゆきで、三本ともやって来たラムネビンは、何度も繰り返して使われたようで、縁や底近くが、傷ついたり欠けたりしています。
高さ17.5センチ、太さ4センチと小さいビンで、中に入っている玉も、普通のビー玉よりずっと小さいものでした。

六角形のラムネビンの身元を調べたいと、久しぶりに『びんだま飛ばそ』(庄司太一著、PARCO出版、1997年)を開いてみました。

 
『びんだま飛ばそ』には、10本ものラムネビンの写真が載っていましたが、残念ながら、これと全く同じ形のビンは載っていませんでした。でも、底に玉が落ちるのは欠陥品ではなかったみたいです。ビー玉が途中に留まっていては、底まで洗浄するのに邪魔になります。そこで、大正末から昭和にかけて、ビー玉を底まで落として洗いやすくしたビンが開発され、画期的な商品だったそうです。そのわりには、長くは使われなかったのでしょうか?

ラムネ=レモネードが日本に伝わったのは、1853年(嘉永6年)のことでした。米国のペリー提督が浦賀に来航したさい、艦上で交渉役の江戸幕府の役人たちにレモネードを振る舞ったのが最初と言われています。
当時のレモネードは、コルクで栓をしていましたが、コルクは高価で、しかも時間がたつと炭酸が抜けやすいのが難点でした。そこで、もっとしっかり密封したいと、イギリスでビー玉栓のビンが考案されたのは、1872年のことでした。
日本でラムネの製造がはじまったのは1887年(明治20年)のこと、当初はイギリスから輸入したビンを使っていましたが、大阪の徳永玉吉が五年の歳月をかけて、1892年に国産のビー玉ビンづくりに成功しました。


底には陽刻が入っていました。
二本は「○にK」、Kは倉敷鉱泉のビンでしょうか。倉敷鉱泉のホームページの「ラムネ瓶博物館」の二枚目の写真によく似ているような気がします。
Kといえば、川崎飲料もありますが。


そして残りの一本の、「Hのようなマークの下にSと3」の方は、どんな会社のラムネだったのでしょう?

ラムネはレモネードから、サイダーはアップルサイダーからのネイミングですが、味はよく似ていました。どうしてサイダーの方がたっぷりした大きなビンに入っていたのか、子ども心に不思議に思っていましたが、サイダーはコップに注いで二人以上で分けて飲むもの、ラムネは一人ひとりがビンから直接飲むものだったからかもしれません。

アメリカでは、1892年に王冠が発明され、ビー玉入りのラムネビンは百年以上前に王冠に取って代わられました。そして、本家のイギリスでもラムネビンはとっくに消えています。
日本では、ラムネ生産のピークは1953年(昭和53年)でしたが、缶ジュースやペットボトルなど、返却不要の容器が主流になるまでずっとつくり続けられ、今ではラムネビンもペットボトルと使い捨てガラスビンに姿を変えましたが、細々と愛されています。

行楽地で、氷水の中に並んだ冷えたラムネを取り出して、蓋を開けたときのあの幸せ、鼻にぷふぁっとくる炭酸が懐かしい、と言いつつ、もうラムネは長い間飲んでいません。





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