2015年10月4日日曜日

今戸人形たち

 
尾張屋型今戸人形師の吉田義和さん(いまどきさん)に、思いたった折々にお願いしておいた人形たちが、揃って出来上がって届きました。

歌川広重『名所江戸百景』。隅田川橋場の渡しに今戸焼のかわら窯の煙が見えます。
 
子守狐を除いては、どれも廃絶してしまった人形たち、いまどきさんがいなかったら、目にすることも、手にすることもなかったものばかりです。


猫抱きおかめさん。
ずっと、気になっていた人形です。


プラスティックでできた、ユージンのフィギュリン(これまでフィギュアと表現してきましたが、英語ではfigurineなので、改めます)の招き猫シリーズのものは持っていますが、実物は持っていません。


フィギュリンは名古屋人形の写しです。
正確に移したものと思われますが、こう見ると、名古屋人形のおかめさんの手が異常に大きいことに、今、気がつきました。


野田末吉翁の作品の写しでしょうか。
底を見ると土鈴仕立てのようですが、これは写しのフィギュリンですから、もちろん鳴りません。
反対にいまどきさんの猫抱きおかめは、穴はないけれど、今戸の伝統を踏まえて中に土を丸めた玉が入っているので、がらがら鳴ります。


狐拳は、じゃんけんと同じです。
狐は猟師に鉄砲で撃たれ、猟師は庄屋に頭が上がらず、庄屋は狐に化かされるという、三すくみの関係を、腕を用いた動作で表し、勝負します。
庄屋さんの、育ちのよさそうなお顔を見ると、思わずこちらも顔がほころんでしまいます。

菊川英山(1787-1867)の『風流狐拳』
膝の上に両手を置いているのが庄屋、手を挙げているのが狐、そして、鉄砲を構える姿をしているのが猟師です。

歌川國芳(1798-1861)の『猫のけん』

こちらは左から、猟師、庄屋、狐の順です。

宇江佐真理の『深川恋物語』(集英社文庫、2002年)の中には、生き別れになっていた母子が廻り合いを果たし、二人で一生懸命狐拳をして、これまでの距離を縮めるという、その名も「狐拳」という、素敵な短編があります。


子守狐です。
頭には櫛を挿しています。


子守狐は、我が家にもう一匹、古いのが生息していました。
たぶん、白井孝一さんがつくったものではないかと思います。


母の優しさがにじみ出た姿です。


おかめの火入れは圧巻、存在感いっぱいです。
今戸焼の定番で、浮世絵にもよく描かれているそうです。


その昔は、火入れは灰の上に「おき」や炭を乗せ、煙草の火や個人用の手あぶりにしたものです。


左は、やはりいまどきさんの、招き猫の火入れです。

後ろの、瓦猫の火入れは古いものですが、これも今戸焼でしょうか?
瓦屋さんの副業もあったし、「黒もの」を呼ばれる火入れや火消し壺を焼いていた窯元もあったようです。
この瓦猫は、高いところに置いていたのに、重くて安定感がよく、2011年の地震の時に落ちないで、命をつないでいます。






6 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 漱石の小説の中に今戸焼の狸という形容がありますね、
想像できるユーモラスな姿ですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
今戸焼には河童も兎もいますよ♪身近だったんでしょうね。
江戸の人たちが足袋も履かないで、建てつけの悪い油障子の戸を閉めて、火入れを抱えてキセルを吸っていた様子、目に見えるようですね。
火事は江戸の花でしたから、今戸焼も何度も燃えたことでしょう。今でも、ビルの新築で掘り返したりすると、関東大震災や東京空襲の焼跡から、ときおり今戸焼が出てくるようです。でももう都心は開発開発で、土の中に昔の名残を留めているところはほとんどなくなったでしょうね。

昭ちゃん さんのコメント...

 関連した話ですが、
気球隊で民間の防空壕掘りの使役をしましたが
震災の焼けた土がでました。
わが家の跡もビル工事ででたことでしょー
 高速の基礎では江戸時代のお寺の敷地なので、
人骨や什器が一杯出たそうです。
人骨にまつわる怪談話も聞きました。

さんのコメント...

昭ちゃん
いつだったか、職場近くの神田明神前の甘酒屋の天野屋に行ったら、たまたま地下の土室を壊すので見学させてくれる日に当たっていて、見学しました。地下6メートルだったか、あちこちに土室が深く伸びていて、江戸時代を垣間見た気がしました。温度が一定なので、そこで米麹をつくったそうです。
ところが、ビルが増えるにつれ、縮小してきたのですが、天野屋の敷地を除いて、最後の土室も壊さなくてはならなくなったのだそうでした。
現代では建物が立つ敷地は、地下深くまでその人のもので、天野屋のように他人の家の地下にまで深く伸びている土室(洞窟)があったなんて、悠長なことは通用しない時代になっていたのですね。
さて、さて、現代のように深くまで掘ってコンクリートの塊にしてしまった地下を、後世の人はどう見るのでしょう?
それでも東京でも蝉がうるさく鳴くので、自然のしたたかさも感じますが。

いまどき さんのコメント...

いつもご紹介くださってありがとうございます。
最後の今戸人形の作者だった尾張屋春吉翁の作品のように粋で洒脱な人形を再現できることを目標にしていますが、難しいですね。最低限どこに何色を置くかということは忠実に手本としているつもりなんですが、、。
白井さんでおつくりになられている「子守狐」も「狐拳」ももともと白井家は人形屋さんではなかったので型は戦後尾張屋さん作の人形が入手できなくなったことから、防空壕に油紙で包んで尾張屋さんの人形を大切にしまっておいた愛好家の方が、防空壕内の湿気により色のとんでしまった人形を白井さんに託して型を取らせたというのがはじまりなので、尾張屋さんのオリジナルの人形よりも2割以上小さく、形も甘くなっているうえ、配色は自分で自由につけているので昔のものとはかなり違う印象を受けます。反対に私の人形は大き目に原型を作って縮んだ状態で尾張屋さんのオリジナルサイズになるように努力しているつもりではありますが、誤差もあり同じにはならず、面描きも尾張屋さんのようにすっきりといかない、、難しいというかもどかしいものです。

さんのコメント...

いまどきさん
子守狐は、そういうことだろうとは思っていましたが、それにしても大きさがずいぶん違いますね。
白井家では大あたりの今戸神社の縁結び猫づくりに忙しくて、伝統的な人形はつくる暇もないとどこかで読みました。ネットで見ると、最近の今戸神社の招き猫は、前から無国籍ではありましたが、鈴も描いたものになり、お顔は平べったくなり、目は大きくなっていますが、相変わらず宝くじが当たるとかで人気のようですね。まあ、世間というものはそんなものかもしれません。
そうそう、まだいまどきさんにブログにはコメントできないでいます。息子が近々来ると言っていましたので、なんとか解決してくれるといいのですが。