2014年4月30日水曜日

柱が立った!


寝かせてつくった柱を、立てる準備が整いました。
もし、我が家のユンボ(パワーショベル)で持ち上がらないようだったら、もっと大きいのを借りて来なくてはならなかったのですが、なんとか持ち上がるようでした。
狭い場所での作業ですから、パワーは強くても、小回りの利かない大きいユンボもまた、操作が難しいものなのです。

瞬発力の高い夫は、失敗できないと極度に緊張しています。それに比べると、持続力はあっても瞬発力に欠ける私は、何もできないせいもあって、いたってのんきそうに別のことに気を取られたりして、張り詰めている夫をいらいらさせてしまいます。


二本立てるうち、東の柱は、下部を穴の位置まで移動しました。


ユンボが持ち上げられるぎりぎりの重さですから、変な力の入り方になったりすると、ユンボごとひっくり返ってしまうので、夫は何度もユンボの位置を変え、慎重な上にも慎重に操作します。
 

入りました。


正しい位置と正しい高さと垂直、その三点を満たすための調整が難しいのですが、東の柱はわりと簡単に全部クリアしました。


二本目です。
手前の、元から立ててつくった柱と場所が近く、その柱が邪魔をするので難しそうに見えましたが、一本目よりすんなり立ちました。
 

ただ、立ってからは、ちょっと高かったので柱を抜き、穴の底に敷いていた木片の高さを低くして、もう一度穴に入れるなど、調整には思いのほか時間がかかってしまいました。


それでも何とか正しい位置に、正しい高さで、垂直に立てることができました。
この穴にはレールを吊り、分厚い引き戸四枚が入ります。

続いてコンクリートを流し込んで固める予定でしたが、コンクリートを練るには体力がいるので、その作業は次の日に持ち越すことにしました。


柱を寝かせてつくるのは、そう難しくありませんでしたが、その受け皿である穴を地中につくるのは、中の穴がそう大きくはないのに深いこともあり、つくるのも外すのもことのほか大変でした。


そのため、今立っている三本の柱と平行に北側に立てる三本の柱は、この水平基礎の上に、立てたままでつくります。





2014年4月29日火曜日

益子陶器市


今年も益子の陶器市がはじまり、初日の4月26日に行ってみました。
それぞれのテントはディスプレイに趣向を凝らしていますが、テントも手づくりする人も、少なくありません。たまむし工房の手づくりテント、素敵です。半日で二棟(ご夫婦それぞれ用)組み立てられて、10年くらい使えるそうです。

ゆみさんがつくった、黒ヤギさんと白ヤギさんのシンクボウル、とっても素敵でした。白ヤギさんと黒ヤギさんの間にいて、お手紙を配達している郵便屋さんはなんとオオカミでした。我が家は、どこも取りつけるところがないのが残念!


今年も田崎太郎さんのテントの前には行列ができていました。
聞くところによると朝の四時から並んでいる人がいて、七時前にはもう坂の下の方まで長蛇の列だったそうです。最近の人たちは行列慣れしているようですが、私には到底できないことです。
太郎さんは、社会現象になってしまいました。


陶器市ですが、手ぬぐいを買いました。
そのあとでお隣に住んでいる「八郷910」さんのカフェのテントに行ったら、
「あっ、ふうこさんの手ぬぐい買ったんだ。私も同じの持っている」
と、くみさん。
これをつくったふうこさんはくみさんたちのお知り合いのようでした。


B級品の棚に並んでいたとはいえ、型をつくって植物染料を使っての手染めですから、普通の手ぬぐいの値段では申し訳ないようです。


しかも、この楽しそうな猫たちのかわいいこと。
ほかの植物や、抽象の作品も素敵でした。


「ええぃ!」



2014年4月28日月曜日

籠玉


昨年初節句だった家に、鯉のぼりを見に行ってみました。
この家の竿の先には、私が八郷に来てから、憧れにあこがれていた、竹細工の飾りがついています。これは茨城、福島の太平洋側だけに見られる(見られた)、「籠玉」というものです。

籠玉については諸説ありますが、折口信夫の「髯籠の話」によると、神を下ろすための依代としてこの籠を用いているそうです。そして、玉の籠の目で、邪気を睨み返し、追い払うとしています。


何度見ても、素敵です。
昨年、見ず知らずのこの家で新しい籠玉を見て、どこで手に入れたのか聞くと、近くの町にある人形店の名前を教えてくれました。
その店に、電話してみたら思った以上の値段、いったんあきらめたものでした。


ところが最近、つくっている方のお名前と、住んでいる集落の名前がわかりました。この道60年という籠師さんで、籠玉をつくるのは、大きいものより小さいものの方が難しいのだそうです。曲がり方が強いので、ひごのつくり方が難しいのでしょうか?

今度、ぜひ訪ねて行ってみたいと思っています。




2014年4月27日日曜日

型枠を外しました


わおぉ、すっきりしました。
コンクリート打ちからほぼ十日、あれこれ、外せるところは全部、型枠を外して、土をざっと埋め戻しました。
真ん中の、太い柱はまだ打ち継ぐので型枠はそのまま、これから、横にとめている鉄パイプを少し外すだけです。
それでも、斜めに入れていた鉄パイプは全部取り外したのですっきり、足元もよくなりました。


同じ場所の、しばらく前の姿です。

型枠外しは、力はいりますが、厳密に場所や高さや垂直水平を気にすることなく、図面を見ることもなく、ただただ外せばいいので、仕事がはかどります。もっとも、型枠をつくるときは、コンクリートの重みに耐えられるように、頑丈な上にも頑丈につくっているので、外すときは、
「もっと、簡単につくっとけばよかったなぁ」
と思いながらはずすことになります。
特に、「コの字型」や「ロの字型」の内側の部分は、力なしには外せません。
もともと非力な上に、怪我でさらに非力になっている私ですが、それでもできることは山のようにありました。

 
家の建設をしていると、その場で結果が見られる作業は、めったにありません。ところが型枠外しは、次々と仕上がりが目にできるので、二人とも、久しぶりに早朝から夢中で働きました。


次の作業は、寝かせてつくった柱を立てることです。


果たして、やすやすと立つでしょうか?
もっとも、立ってもらわないと、次に進めないのですが。





2014年4月26日土曜日

マトリョーシカで勉強?

マトリョーシカの本は何冊か持っていますが、karatさんに教えていただいた『マトリョーシカノート3』 は、著者の道上さんが、マトリョーシカをたくさん集めて、それらを細かく見比べて、産地やつくられた年代を割り出している、研究書のような本なので、とても勉強になります。
その本を見返すと、ジグソーパズルのようにピタッと腑に落ちて、
「そうだったのか」
と合点することもありますが、同じくらい腑に落ちないこともあるので、見飽きません。

どう腑に落ちないかと言うと、例えばセミョーノフのマトリョーシカ、花の描き方(だけではありませんが)で1950年代、60年代、70年代、80年代などと分類してあるのですが、どう見比べても違いがわからなかったりします。
また、
「これは入れ子の数が多いから古いものだ」
と書いてあるそばから、本の中ではもっとも入れ子が多いものが、比較的新しい1970年代とされているので、頭はこんがらがった上にもこんがらがってきます。

まあ、私にマトリョーシカを見る目がないということだし、スタンプとか他の決め手もあるのだろうと、すっきりしないまま納得しますが、辞書のようなこの本を目の前にしても、わからなかったりするのですから、この本がない道上さんの調べた道が、どんなに長くてたいへんだったか、察するに余りあります。

これまで、気に入ってさえいればよかった自分のマトリョーシカですが、この本を見ていると、
「いったいこれは、どこでつくられたものかしら?」
と、俄然関心がわいてきて、本とつき合わせてみたくなります。
ところがそれも、わかってすっきりするものもありますが、そうでないものもあるのです。


たとえばこの娘たち、マトリョーシカの大産地セルギエフ・パサードのものと、ちょっと似たところがあります。


ところが比べてみると、表情、サラファンの形、サラファンの模様など、全体的に違うのがわかります。
水玉模様は古いと本にありますが、そう古そうでもありません。


手も違います。
もっとも反対側の手はどちらのマトリョーシカもも降ろしているので、そう変わりません。


もしかすると、セルギエフ・パサードから東北東へ100キロ行くという、カリーニンのマトリョーシカかと、本に載っているカリーニンのマトリョーシカたちと比べてみますが、よくわかりません。


これも身元不明です。


手はキーロフのマトリョーシカと似たところがあります。
かといって、キーロフのマトリョーシカだとする決め手はありません。


わからないのは、わかる楽しみが先に待っているということでしょうか?





2014年4月25日金曜日

射的の猫たち


射的の猫に、最近新しい仲間が加わりました。
小判を持っているのに、招いていない猫です。


数が集まれば、可愛さ倍増と思うのは、私だけでしょうか?
どれも、さがして見つけた猫ではなく、何気なしに出逢った猫たちです。まゆ毛のある子とない子がいるのですが、猫にまゆ毛なんてないのに、ある方が当たり前に見えたりします。
「あれっ?」


前列の真ん中にいる子、もしかして犬?
一匹だけ、耳が違います。



2014年4月24日木曜日

粉ミルクの匙


匙って、見過ごせないところがあります。
骨董市で、
「粉ミルクの匙だよ。森永と明治があるよ」
とさわださんに声を掛けられ、きれいなのを選んだら明治でした。
「森永?汚いからいいや」
とその時は、粉ミルクの匙は一本だけ、あとままごとの匙もあったのでいただいてきました。

午後になって、
「やっぱり二種類ある方が面白いかな」
と思い直し、再度骨董市に行ってみました。三時前なのに、骨董屋さんたちはみんな、品物を並べていた場所に車を乗り入れて、帰り支度をしていました。
さわださんも、ほとんど箱詰めが完了していましたが、幸いまだ匙を車に積んでいませんでした。


赤ちゃんが直接口に入れるものではないとしても、森永の匙はこんなに汚い仕上がりです。切断面がギザギザしているだけでなく、先端が欠けています。

でも、匙だけ数本まとまってあるということは、もしかしたら同じ工場でつくられたものが出てきたのかもしれません。
メーカーから突き返された不良品の可能性も考えられます。


森永の匙のエンボスです。「森永ドライミルク約三g」と書いてあります。


明治乳業はロゴだけ、「スリ切約三」と書いてあります。
明治の方が、「すり切り」と書いてある分、親切でしょうか。
それにしても、三グラムを三瓦と書くとは、いったいいつごろの粉ミルクだったのでしょう。




2014年4月23日水曜日

完成間近です

近くに住む有機農家のこうじさんが、自力で家をつくっています。モデルハウスからもらってきたシステムキッチンの配水管のつなぎのことで、夫が相談を受け、実際に見ないとわからないということで、見に行きました。


この前来たのはいつだったかしら?
そのときは屋根と柱だけでしたが、壁を貼り、窓も入って、とってもおしゃれな家が出現していました。 奥に見えるのが今住んでいる、やはり手づくりの小屋です。


縁側の柱を乗せる基礎のコンクリートがユニーク。


こうじさんだけでなく、友人の大工さん夫婦のSさんも手伝っているようですが、知っている有機農家たちのやはり手づくりの家に比べると、ずっと手が込んでいます。


松の梁は、こうじさんのお祖父さんの家の梁を、解体して運んで、ずいぶん前からたいせつに取っておいたものです。


しっくいは、お連れ合いのかなこさんが塗ったそうです。
とってもきれいに塗れています。


そして、すごいのが、水システムです。
沢の上流から水を引いているのですが、いったん裏山に設置したタンクにためます。配管は、接続部品の関係で、なかなか斜めにできないので、パイプを階段状につくっているのが、おもしろいところです。


それを、家の脇のタンクに導き、この水から配管して、生活水として家の中で使います。
沢の水を引くと、止めずに流しっぱなしにしなくてはなりません。
そこで、このタンクから溢れた水をそのまま捨てずにもう一度、下の方に設置したタンクに入れて使います。


土の上に白く見えるのは、散った山桜の花びらです。

こうじさんはここに住みはじめるとき、八郷じゅう歩いて、景色の気に入ったところを見つけ、
「ここの地主さんは誰ですか?」
と集落でたずね回り、地主さんを見つけて土地を借りる交渉をしたという逸話の持ち主です。
室内から、眼下には自分の田んぼが見え、その向こうに丘や山々が重なって見え、一番奥には筑波山が見える、最高の景色ですが、写真を撮り忘れてきて残念でした。
我が家は標高90メートルですが、こうじさんの家は標高150メートル、ちょっと景色が違います。



2014年4月22日火曜日

ボンナイフ


ふっふっふ。
ボンナイフを手に入れてしまいました。

骨董市のさわださんの店で見つけて、さわださんが勧めもしなかったのですが、
「まあ、買っておこうか」
と軽い気持ちで買ったものです。


で、落ち着いて見てびっくり、持ち手がセルロイドということで珍しいと言えば珍しいのですが、なんと刃を抑えている部分もセルロイドなのです。
こんなのあったっけ?
私が小さい頃使っていたのは、持つところが透明な色のついたプラスティックで、全体がエンボスででこぼこしていて、刃を抑える部分は金属だったような気がします。

ネットでボンナイフの画像を見てみました。
セルロイドのボンナイフは、全然見つかりません。

「こげんもん、ボンナイフ・コレクターのコレクションにも、ないぜよ、西郷さん!」
「そいつぁ、掘り出しもんでごわす、坂本どん」


裏の模様です。