2013年6月30日日曜日

突拍子もない御殿


八郷には、数々の御殿がありますが、Sさんちへ行く途中に建つ、この家ほどぶっ飛んだ御殿はめったにありません。
銅葺きの長屋門は、丸太の梁が二本貫き、両側の壁には仁王さまのレリーフが施されています。
その前には、鷲の石造が一対、来る人を威嚇するように立っていて、見る人の度肝を抜きます。
ぴっかぴかに光っていた屋根が落ち着いたと思ったら、また何か建てはじめました。


わけのわからない、東屋風の建物です。
お寺でもない、個人の家なのにどうして?
Sさんに聞いても、詳しいことはわかりません。左官屋さんかもしれないという、はっきりしない情報があるだけです。


そして、こんなに力を入れて、家を飾りたてているにしては、周りがお粗末なのです。すぐ前に別の家が建っていて、母屋は瓦葺きですが、新建材やトタンを使った倉庫やら納屋がごちゃごちゃ建っていて、威圧的な後ろの家のシンボリックさを消し去る役目を果たしています。

このあたりの本当の旧家はしっとりと、周りと調和したたたずまいを見せています。
自然に囲まれた場所なら地形を生かして、「宿」と呼ばれる、家が並んだ場所では、隣と調和しながら、さりげなく自己主張もしながら、家を美しく見せることを、控え目に競っていたりします。

こんな突拍子もない家を建てる気持ちはどんなものか、聞いてみたい気がします。



2013年6月29日土曜日

ひらたパンツ


母のもんぺは、もんぺといいながら断ち方は洋裁ですが、ひらたパンツは正真正銘のもんぺ、和裁の断ち方をしています。
以前の職場で、海外赴任が決まると、ひらたさんが、ちゃっちゃと縫ってプレゼントしてくれたので、誰言うともなく、ひらたパンツの名がつきました。
ひらたさんは、男子校の家庭科の先生で、身長、胴まわりなどをざっと見て、計測もしないで、その人にぴったりのパンツをつくってくださいました。


和裁ですから、畳み方にも無理がありません。


熱帯の、しかも電気がないような田舎に行く時、ジーパンは最悪です。
夕方になれば自分の身体が臭うほど汗をかくのに、ジーパンは足にぴったりくっついて暑いし、手で洗うのが一苦労、二人がかりでも絞るのが大変、おまけにいつまでも乾かず、臭くなったりします。


それに比べると、もんぺは涼しくて、楽で、洗いやすく、すぐ乾くので、重宝この上ありませんでした。
はきつぶしたものもありますが、キンチョー柄と、絣のひらたパンツは、今でも熱帯へ行く日のために大切にとってあります。


ひらたさんは、自分でもつくれるようにと、つくり方を書いた紙までくださいました。


赤は、私が書き足したものです。


型紙をつくったのは私ですが、自分で縫ったのではなく、当時は元気だった母に縫ってもらいました。


絹のもんぺは、皺になりにくく、膝が出ず、軽くて、飛行機の中のような寒いところでは暖かく、暑いところでは身体から離れて涼しく、軽くてかさばらないので、とくに旅には欠かせませでした。


格子の柄は、タイ東北部の男子、しかも長老だけが身につける腰巻布のパターンです。
単色ではなく、二色撚った糸で織っているので、玉虫色に輝きます。


そして模様の方は、タイ東北部の女子、それも小さめの模様ですから、年配の女性用の腰巻布です。
このもんぺにざっくりしたタイの農民服でも着れば、身も心も軽々、快適でした。
行き先がタイ東北部の場合、
「ふん、年より柄のを着ているなぁ」
とか、
「どこだい?この色だとブリラムじゃないだろう?」
などと会話も弾みました。
織り手によって、地域によって、色遣いや柄に違いがあるからです。


今も日常的にはいているのは、インドネシアのイカット(絣)のひらたパンツ。帯にしようかと買ったのにもんぺにしてしまったので、すっかり色褪せましたが、これも手織りですから肌触りがよく、母のもんぺ同様、重宝しています。



2013年6月28日金曜日

蘇ったお皿


しばらく前に、息子が割れたお皿を持ってきました。
「誰か直してくれる人知っている?」
隣のJさんには、これまで十個くらい直していただいたでしょうか。一度も修理代を取ってくれないので、さすがに頼みにくくなっています。Jさんは漆塗りの仕事だけしているならまだしも、週三日は賃仕事に行っています。

陶芸家のkuskusさんなら誰か知っているかなと聞いてみると、「ほん陶」さんを教えてくれました。
さっそく息子のお皿の写真を撮って送りました。
さて、金継ぎ代は4000円と出てきました。Jさんは、金粉を使うと高いのでと、いつも赤や緑の漆でやってくれますが、ほん陶さんの場合、樹脂か金継ぎで、しかもお値段は確か一緒でした。
息子に電話します。
「どうする?」
「うぅぅ~ん。うぅぅ~ん。いいや。自分でキットを買って直してみる」
もともと私から貰ったお皿なのに、息子はけちります。まあ、無理もありません。いつか息子の友だちで、100円ショップの食器しか使っていない人もいました。洋服代はばんばん使っても、食器代は考えたことがないとその人は言うのです。
その人に比べれば、息子の方がましです。
「わかった。断っておく」

そう言えば、私も割れたお皿を持っていたのを思い出しました。
震災の時、四枚重ねてしまってあったお皿が、たぶん上下に飛び跳ねて、下の方のお皿が割れたものでした。


やっと形を保っていますが、隙間から向こうが見えます。


30年以上前、手仕事をしていた私は、布地屋さんの手芸講座に招かれて京都に行ったことがありました。そのとき、東寺の骨董市に誘っていただき、買ったお皿です。
まだ、骨董市が珍しかった頃でした。
五枚買うと、謝礼がほとんどなくなったような気がするので、それなりの値段のものだったのでしょう。昔は、伊万里は今より高かったのです。

ほん陶さんに写真を送ると、接着代が2000円、金継ぎが3000円という見積もりが出ました。5000円はお皿代より高いかもしれません。でもこのまま持っているわけにいかないし、捨てるのが惜しいなら、思い切って直していただくしかありません。

 
一ヵ月半後、お皿が送り返されてきました。
「ひゃぁ、美しい!」
素敵な仕上がりで、十分観賞に耐えます。


漆は、ほんのちょっぴり盛りあがり気味、持つと不気味な音を立てて今にもバラバラになりそうだったお皿が、堅牢になって再生しました。


今、息子のお皿の修繕もお願いするかどうか思案中です。だって、もし私に体質が似ていて、息子が漆にかぶれたら目も当てられないし、金継ぎセットだって、それなりの値段だろうし、割れ方は単純だし、三苫修さんのお皿を捨てるわけにもいきません。

そろそろ息子の誕生日なので、誕生日プレゼントとにするのがいいかもしれません。




2013年6月27日木曜日

なっちゃん


高い梁の上に並べておいたなっちゃんは、 3.11の地震で全部落ちました。中身が入っていた分重く、ほとんどの缶がつぶれてしまいました。

つぶれた缶など見たくもないのですが、せっかく集めたのだし、と今でも置いてあります。


つぶれ方によっては穴が開いて、中のジュースが漏れだしたので、悲惨なものでした。それでも、中身だけ捨てて、相変わらずとってあります。


あまりひどいものはそれでも捨て、中身入り、空と二つあったものも中身入りを捨てたのですが、毎年モデルチェンジしているので、よく見ると微妙に違っていたりします。
例えば上の二つ、ちょっと見にはそっくりですが、青い「natchan!」の字の太さが違い、「なっちゃん」の文字色が違い、顔の右下の青い囲みの形が違います。
 

こんなすっきりしたデザインが好きなのですが、この数年はずっとごちゃごちゃバージョンが続いています。


今年のなっちゃんです。


2013年6月26日水曜日

木彫りの器

かつて、山岳に住む人々を総称して、英語ではHilltribesと呼んでいました。しかし、Tribeは、「まだ文明を持っていない部族」という蔑称ですから、ずいぶん前から使われなくなり、Hillsと呼ぶようになっています。そして、個別の民族グループを呼ぶ時には、ヤオ人を指す時は単にYao、モン人を指す時には単にHmongと呼びます。


ところが、日本では、いまだにずいぶん無神経に「族」という言葉が使われています。
例えばこの本の原題は、『LAO MIEN ENBROIDERY』、ラオスのミエンの刺繍というものですが、ミエンという言葉は日本人に馴染みがないので、ヤオに置き換えるのはいいとして、山岳民族に造詣の深いと思われる訳者が『ヤオ族の刺しゅう』という題名にしているのは、とても残念なことです。 

前置きが長くなりました。


パキスタンの北部ペシャワールよりさらに北、アフガニスタンとの国境線に住む、山岳民族の木彫りのボウルです。
タイなど東南アジアの山岳民族は、高々数百メートル、高いところでも1000 メートルくらいのところに住んでいるので、Hills、直訳すれば丘陵民族という呼称がぴったりですが、パキスタンの山岳民族は2000メートルくらいの ところに住んでいるので、Hillsではなく、Mountain Peopleです


木は、繊維に沿った方向であれば、薄くしても強度を保てますが、繊維を断ち切る方向では、ある程度の厚みを残さないと、強度が保てません。ところが、このボウルは、その危険を知りながら、やっと形を保てるくらいに、深く、深く彫り込んであります。内側が、底に沿うように、平らに削られているのです。
おそらく、薄く削った軽いボウルをつくることができる人は、社会の中で賞賛のまなざしで見られたことでしょう。そのため、より薄く削られるようになったのではないかと、推察できます。 

ボウルは水、乳など液体を入れたものだと思われますが、他にも穀物や、果物などあらゆるものを入れたのかもしれません。


取っ手がついていないボウルもあり、ついているものもあり、取っ手に蔓で編んだ輪をつけて、ぶら下げやすくしたものもあります。


割れ目が入ったボウルは、ラタンで修理してあります。
行ったことがない土地なのでわかりませんが、ラタンはもっと低地で採れるので、交易によって手に入れた、大変貴重なものだったのでしょう。


内側には、漏れ止めに樹脂のようなものを塗ってあります。
 

どの家でもこのボウルが必需品だったと見えて、おびただしい数のボウルが遺されているようです。


地球上のどこででも、人々はその土地その土地で手に入る材料である、瓢箪、竹、木、土、金属などを加工して、営々と器をつくり続けてきました。ところが、1960年代以降、地球は狭くなり、大量生産品が隅々まで浸透してこれらを凌駕し、伝統的な生活や道具は、地球全体から失われていきました。

残念ながら、パキスタン高地でも、今では木のボウルは、全部プラスティックにとって代わられてしまったようです。






2013年6月24日月曜日

中央アジアの婚礼衣装


パキスタン、アフガニスタン、トルキスタンあたりに住む山岳民族の花嫁衣装です。
黒い絹地に刺繍をしてあります。
絹地は、手紡ぎ、手織りで、山繭の絹糸です。


前後身ごろの、袖下部分と、袖の一部には、ボーダー柄に織った、赤い絹布を使っています。


前立て、襟、裾、袖口などの模様は、すべて刺繍です。刺繍糸も絹です。
針目は小さく、これ一枚をつくるのに、長い長い時間を費やしたことがうかがえます。


打ちかけのように羽織って着るもので、羽織の紐のような紐がついています。


紐も自分で編んだもので、ビーズや刺繍で装飾しています。


前立ての刺繍。


脇裾の刺繍。


裾の刺繍。
模様には、それぞれ意味があるものなのでしょう。
裾には、これも自分で編んだコードが綴じつけてあります。


なぜか左袖だけに、編んだ紐を綴じつけています。


裏地は、工場製品のプリント地です。
あの地域らしい、赤が目立つ、華やかな布を四種類使っています。


表布と裏布とは、ステッチ(キルティング)で留めてあります。


そして、前裏両側に紐が綴じつけてあるのですが、どのような意味があるのか、どう使うのか、知りません。ハンカチなど下げておくのに便利そうです。

十六、七年前にバンコクの骨董屋で買ったものです。
丹精込めてつくった花嫁衣装を手放すなんて、東南アジアだけでなく、中央アジアでも山岳民族の生活や価値体系が大きく崩れているのを実感したものでした。


2013年6月23日日曜日

カメルーンの藍染布


カメルーンの絞り藍染めです。二つ折りにして、写真を撮っています。
カメルーンの中央あたりに住んでいるパミレケ人の、腰巻布とか夜具として使われる布です。

西アフリカにも同じような織り+染めものがありますが、西アフリカでは、細く織った布を何枚もはぎ合わせて、一枚の布にします。 細いものでは、わずか10センチほどの幅に織って使います。
しかし、カメルーンのこの布は、幅60センチに織った布を、二枚だけ剥いであります。


絞り染めは、染め残したい部分を糸で固くくくってから、染料液(この場合は藍)に浸して染めます。
布をくくるのは、最初のうちは簡単ですが、くくり進むにつれて布がひきつれ、まだくくっていないところに皺が寄っていくので、しっかり下絵を描いておいても、模様が見にくくなってしまいます。そのため、うっかり絞り残したり、絞れなくなったりしがちですが、破たんなく、美しい模様に絞りあがっています。


点と線、直線と曲線などをうまく組み合わせた模様で、白色と藍のバランスも申し分ありません。


ところどころ、小さな茶色の点が見えます。


取り残された糸です。
染めあがると、くくっていた糸を切って取り除いてから乾かしますが、その糸が取り切れてなくて、ところどころに残っているのです。


よく見ると、紡いだ糸ではありません。


草でした。
草はゴワゴワと固いのですが、水に浸けてしなやかにして使ったものでしょう。木綿の糸より太く、安上がりで、染料液も通しにくいので、使っているものと思われます。

タイ東北部の人たちは、絣を織るために絹の糸をくくって染めますが、ビニールの梱包紐をほぐして使っていました。やはり木綿糸を使うより、防水性が高いからです。

どんな地域にも、地域なりの工夫がみられて、面白いものです。