2012年7月31日火曜日

やってきたミニチュア


留守している間に、夫の弟のひろちゃんから、荷物が届いていたのは知っていました。でも終日忙しくて、届いた荷物を開けるどころじゃなくて、放っておいたら、ひろちゃんから夕方電話がありました。
夫が電話に出て、
「そりゃぁ絶対喜ぶよ」
と言っています。
急いで開けてみると、夫の母の遺したものでした。

夫の母は潔くて、私とは正反対に、ものにはまったく執着しない人でしたが、浅草助六に売っているようなミニチュアだけは好きでした。
その母の飾っていたものの数々が、ひろちゃんが送ってくれた箱に詰まっていました。


私がタイやフィリピンから買ってきた、お土産の籠もありました。


籠には、送るためにひろちゃんが詰めた小さいものたちがぎっしり入っていました。
明日は整理する時間が取れるかなぁ。
助六で母が私に買ってくれて、自分にも買った小さなお地蔵さまもあるかなぁ。


2012年7月30日月曜日

もんぺづくり その二


妹のもんぺは、もっとも手がかかるポケットをつけ終わって、やっと先が見えてきました。
表から見ると気がつきませんが、


裏を返すと、ポケット、居敷当て、ひざ当てなどが見えます。

そんな、もうすぐ完成しそうな浮き浮き気分の午後、妹から布が届きました。
開けてみると、4メートルに切った生地が、なんと4枚も入っていました。

母は、久しぶりに他人の役に立てると、妹からの布を心待ちにしていました。
90歳になっても(と本人は言うがまだなっていない)、足が立たなくても、自分を必要としてくれる人がいると、意気に感じていたのです。そして、たぶん、もんぺ二本分くらい、布にしたら3メートルくらい送ってくると、勝手に思い込んでいたのです。

そして、妹は妹で、この機会を逃したら、もう母のもんぺを手に入れることはできないと、思い切った買い物をしたけれど、こんなに送っていいものかという遠慮もあって、なかなか送れなかったのでしょう。
同封の手紙には、もしつくれなかった場合は、布をそちらで好きに使ってくれていいと書いてありました。

母は、完全に途方に暮れています。
いくらなんでも全部縫うと私に迷惑がかかると思っているし、これから16枚(たぶんそのくらいできる)も縫う気持ちも起こりません。
そして、妹に電話して、どの布の優先順位が高いか聞いて欲しいと言います。できたら、母の気に入った布だけ縫って、ことを収めようとしているのです。
でも、
「どれにする?」
なんて言われたら、妹の面目は立ちません。

結局どうするか、結果的には決定権が私のところに来てしまいました。
あぁ~ぁ。門外漢なのに。

とりあえず一種類裁ってみてから、それとポケットをもっと簡単な外づけのものにするということで、あとは決めたいと思っています。
今のところ、なんだかんだで、たぶん半分くらいは縫うんじゃないかという予感がしています。



2012年7月29日日曜日

もんぺづくり

いつもは忙しくて身動きの取れない妹が、やっと休暇を取り、ロンドンに留学している息子を訪ねるというので、一昨日から、妹と同居している母が我が家に来ています。
思い起こせば、結婚で実家を出て以来、お産にも帰るということがありませんでしたし、母が長く自分の家を空けることもありませんでしたから、母とは久しぶりの長期の(といっても半月)同居生活です。

母が我が家に来る直前、仙台に住む下の妹から珍しく、
「インド綿を見つけたので、もんぺを縫ってくれる?」
という電話が、あったそうでした。
かつて母は、寒い冬も母のつくった木綿のもんぺしかはかないという(変わり者の)妹のために、100本以上のもんぺを縫いました。
今は足が悪くて、歩くのもままならないくらいなので、もちろん縫うことはできません。

ずっと昔、母がまだ大量のもんぺを生産していたころ、
「私が死んだら、ちーちゃんにもんぺを縫ってあげてくれる?」
と聞かれたことがありました。
母のもんぺはポケットが二つつき、居敷当て(お尻当て)、ひざ当てもついた面倒なものなので、とてもとても。
そのときは丁寧にお断りしました。

という経過があり、母から、今回縫ってあげられるかどうかと、電話をもらいました。
母も我が家に来ることだし、今回だけならと承諾すると、その日から母のうきうき人生がはじまったようでした。
長い間他人の世話にばかりなり、何もできなかったので、久しぶりに人の役に立つことができると、すっかり気持ちも高揚して、裁縫道具から、古いつくり方ノート、ウエストに入れるゴム紐まで持参して、一昨日やってきました。


ところが肝心の、妹からの布が届いていませんでした。
肩透かしにあってがっかりする母は、「早く布を送れ」というはがきを妹に書いて送ったのですが、手持無沙汰このうえありません。

そのガッカリぶりを見て、
「私の持っているインド綿を使ったらどう?」
と提案すると、俄然、元気が戻ってきました。

昨日から、日曜は休むと宣言していたのに、今朝は朝食のあと、メガネをかけて待っています。もんぺを裁つつもりです。迷いましたが、
「じゃあ、裁つ?」
と提案すると、もちろん二つ返事です。
床に布を広げて切ろうと思っていましたが、それでは椅子に腰かけることしかできない母が参加できないので、布を二つ折りにして、食卓で裁断です。


もんぺ布のほかに別布を、ポケット、居敷当て、ひざ当てなどとして裁ちます。


裁つだけで、今日縫うつもりはありませんでしたが、ポケット口に待ち針を打つなど、母は仕事を続ける気満々です。
というわけで、とうとう昼から縫うことになりました。

「私、日曜はお休みなのよね」
「そんな。勝手にやってんだから、いつ休んだっていいじゃない」
そんなことできませんよ。お母さん。
「身体が大変だから、草刈りなんかやめればいいじゃない」
そんなこともできませんよ。お母さん。


老母と地頭には勝てません。
縫いはじめてしばらくして、
「ちょっと休憩するね」
「あらっ、老人みたいね」
十分老人ですよ。お母さん。



居敷当てに待ち針を打ちながら、
「ほら、私が縫い縮めるって言ったのにアイロンで済ませるから、合わなくなっちゃったじゃない」
と、母。
「そんなはずないでしょう、貸してみて。あらっ、最初の合わせ方がまずかったのよ」
と、私。
などなど、一つの舟に船頭二人では、なかなかスムーズにはいきません。
それでも、もんぺ二本のポケット口を縫うところまで行きました。まあ、面倒なことはだいたい終わった感じです。

妹が、身体の弱った母に縫物を頼むのも、私がそれを手伝うのも、どちらももしかしたら親孝行なのかと、汗を流しながら思った一日でした。

2012年7月28日土曜日

田の草取り機


うちの田んぼです。
今年は田植えが遅かったので、やっと分けつしはじめたところです。 草がいっぱい生えていて、どれが稲でどれが草かわからないくらいです。


草取りがあまりにもたいへんなので、古い道具を持ち出してみました。昔の田の草取り機の定番です。
田んぼをつくりはじめたころ、リサイクルショップで買った道具ですが、そのときは不耕起でやっていたので、これは使いものになりませんでした。
今年も不耕起ですが、数年耕していたので、やはりやわらかさが違います。耕さないことをよしとしているのに、表土をかき回すのはどうかとも思いましたが、楽に草が取れるなら、使ってもいいかなとも思いました。


使ってみたら、実に具合よく草が起こされます。


この通り、小さな草は根を見せて浮いています。
あとは、倒れたヒエやトウシンカラを抜き、田の草取り機の届かなかった稲の近くの草を抜けばいいのです。
小さいころ、田の草取り機を押すのは子どもの仕事で、大人は後から手で草をとっていました。

右に見えているのが、まだ草を取っていない列です。


その前日、夫が適当に数えて、
「残りは40列ほどだ」
と言っていましたが、改めて数えてみたら、15列取ったのに、まだ35列残っていました。
ちょっとがっかりですが、一両日中には終わりそうです。なにより田の草取り機を押した後の草は抜きやすく、手や肩が午後も夜中も痛まなかったのが収穫でした。

といいつつ、今朝は腕が痛くて、草取りはお休みです。


さて、我が家の田んぼの下の、いけださんの田んぼには、今年はトウシンカラが大繁殖しているところがあります。それもけっこうな広範囲です。

普通の田んぼは、自家用でもっとも農薬を控えた田んぼでも、三回くらい散布します。苗を機械で植える際にも、一緒に除草剤が散布されているはずです。
だから、こんなに草にやられている田んぼは見たことがありません。まさか、我が家の田んぼからトウシンカラが行った?

それにしても、除草剤をまいた中で生き残っているところが異常です。
他の人の田んぼは見ていませんが、そろそろ現行の除草剤に耐性を持ったトウシンカラが出てきたのかもしれません。

ちなみに、トウシンカラはイヌホタルイ(Scirpus juncoides)です。

2012年7月27日金曜日

セルロイド人形の服


このところ、田んぼの草を取っています。
けっこうきつい作業なので長続きせず、一度に二時間くらいしかできません。はじめの頃はまだ、草が小さかったので、一人で16列から12列 くらい取れていました。
最近は草が手ごわく育って、4列くらいしか取れません。

コナギはたくさん生えていても、楽に取れます。ところが、イグサ科のトウシンカラやヒエときたら...。指を5センチくらい土に突っ込んで、根っこの下に引っかけ、渾身の力を入れてやっと抜けるかどうかのしぶとさです。
しかもそこいら中トウシンカラだらけで、足をすいすいと運べないこともあって、同じ姿勢が続き、腰が痛くなってしまいます。

田んぼからあがると、指の筋肉も関節もガタガタで、とても残り時間で建築作業や家の草むしりをする気にはなりません。ただ、ぶらぶらしている以外ないのです。
まだ40列も残っているというのに!


というわけで、なんとなく時間があります。
本当は、日頃手の届かないところの片づけとか、身体に負担のないことをしていればいいのですが、もともとの貧乏性、毎日となるとそれも続きません。
そこで少しずつ、裸のセルロイド人形たちの服をつくることにしました。



布は、母のワンピースやら、妹の古いハンカチやら、目についたものを使います。
適当に切って、


人形にあててみながら、形を整えて、少しずつ手縫いします。
残念ながら、小さすぎるので、下手な腕ではミシンが使えません。薄い生地を縫おうとしてみたら、見事に巻き込まれて、ぐちゃぐちゃになってしまったことがあります。


一番大きい人形は、古びているけれど、着せかえることができない服を着ています。
破れてはいないので、これはこのままにしておくかどうか、とにかく後回しです。


決してよい出来と言えませんが、まあ、裸よりましになりました。


さて、ある程度の大きさのある人形はなんとかなりましたが、小さい人形たちはまだ手つかずです。


キューピーは裸でいいとして、ポニーテールの女の子には服を着せてやりたいと、ひと月ほど前に、パンツをつくってみたことがありました。
ところが、パンツは太すぎたり、短かすぎたりと、何度も失敗して、


三度目か四度目に、やっとできました。
やれやれとはかせてみると、


あれぇ~ぇ。なんとも不格好です。
セルロイド・ミーコ(左)のパンツと比べると、まるでおじさんのステテコです。
とうとう、このパンツも捨ててしまいました。 当分ポニーテールの女の子は裸のままだと思います。


一番小さいけれど、ハイヒールも履いていて、我が家では一番のお姉さんなのに...。


2012年7月26日木曜日

手すり設置


明日から二週間ほど、いつもは妹夫婦と暮している母が来ます。
母は足が悪いので、夫がお手洗いに手すりをつけてくれました。 L字型の手すりは、ネットで買っておいたものです。


お手洗いの壁は、見たところ木の壁ですが、コンクリート壁に断熱材を入れて、その上に板を張ったものです。
手すりには力がかかるので、コンクリートにしっかりと、留めなくてはなりません。

もともと、コンクリートに釘を打つのは、私の大の苦手とするところなので、こういう仕事を厭わない夫にやってもらって、本当に助かりました。

夫と私は、苦手分野も、得意分野も全然重なっていないので、こんなときはホッとします。
あれっ、得意分野は重なっていてもかまわないでしょうか?いえいえ、得意分野も違う方が、ずっと平和です。


2012年7月25日水曜日

川崎毅さんの陶器の食器


古い友人川崎毅さんは、いまでも食器をつくっているかどうか、もしつくっているとしても、たぶん磁器の食器しかつくっいないことでしょう。陶器の食器づくりをやめたのは、ずいぶん前のことです。

そんな彼の、陶器の食器たちです。


この大皿は初期も初期、学生時代のものです。


直径35センチ。土の塊を叩いたり、削ったりして、ずいぶんな時間をかけてつくってあります。
大皿は分厚くて重いものですが、薄い薄いお湯のみとセットでした。


しかし、ガーナやアメリカに旅をさせたせいか、薄いお湯のみはほとんど割れてしまいました。
そして、たった二つ残っていたのを、川崎さんのお連れ合いと分けたのですが、最後の一つも割れてしまったのか、今はありません。


これは、もっとずっとあとの大皿です。


直径37センチもありますが、取っ手がついているので、使いやすいお皿です。
あることでいただいたのですが、嬉しくて、目につくところに置いて、一日に何度も触ってみていたことを思い出します。
大人数のとき、氷を敷いておいてそうめんを盛ったりします。


鉄釉と赤絵の、「川崎毅世界」が広がっています。


焼いた、丸いケーキなどを盛るのに便利な、平らなお皿です。
直径は27センチです。


これは珍しく全体に貫入が入っています。
この貫入が黒ずむのが、たぶん川崎さんが陶器の食器をつくらなくなった理由だと思われます。


ケーキ皿セット。
川崎さんには固定ファンが多く、個展は初日に行かないとほとんど売約済みの印がついていた時代がありました。1970年代後半でしょうか。
そんな時代に、駆けつけて手に入れたお皿です。


裏は、軽くするために削ってあります。
 

それでも重い。


直径約18センチの、同じ大きさの右のケーキさらが250グラムですが、左のお皿は600グラムあります。


豆皿です。


底は厚く、縁が薄くなっていて素敵ですが、 薄い縁が欠けやすく、残っているお皿も全部縁が欠けています。

四角いお皿は、以前UPしました。


川崎さんは轆轤が苦手と言うわけではありません。
轆轤のお皿もあります。とくに磁器の食器は轆轤のものが多いようです。

しかし、たくさんの食器を叩いてつくっているのは、時間がかかりますが、無心に叩くその時間が好きなのだと思います。


直径20センチの小鉢 は軽くて、普段使いには使いやすいものです。


これも轆轤の、縁のぽってりした小鉢です。
この形は、ひところ私の周りで流行ったものでした。
ちょっと深いの、ちょっと浅いの、私の母も、夫の母も使っていました。

この色は、おひたしなどの緑ともわかめなどの色ともよく合います。


そして、空になると底から模様が出てくるのがまた楽しみでした。

2012年7月24日火曜日

ココヤシの葉の飾りもの


タイ農村を車で走っていると、森(すっかり少なくなりましたが)や畑のなかに、村が点在しているのが見えます。
そのとき、屋敷の周りに植えてあるココヤシの背の高さで、それが古い村か新しい村か、推察することができます。
古くから、限られた土地の隅々まで手を入れて、人口も飽和状態だった日本やインドネシアのジャワ島と違って、タイにはつい最近までたくさんの未開拓地が残っていました。そして、村の戸数が多くなると、若い人たちを中心に村を出て、新しい村をつくるという慣習がありました。

まず植えるココヤシは、実も幹も葉も利用できる、生活に欠かせない木でした。


これは、ココヤシの葉を編んだ、タイ北部のお寺のお祭り(仏縁日)の飾りです。
ココヤシの葉を切ってきて、一枚そのまま使ってつくっているのが、何とも素敵です。 左から、ワニが二匹、蛇、そして水牛です。

こんなものまで家に持っているかって?
いえいえ、『LANNA STYLE』(写真Ping Amranand、文William Warren、ASIA BOOKS発行、2000年)という本に載っている写真です。


こうやって、お寺のまわりに立てて、魔よけにします。
魚は、葉柄を取り除いているように見えます。3メートルにもなるメコンオオナマズでしょうか?
それにしてもよくできています。

タイ北部では、田んぼや畑に置いたり立てたりしているお供え物を見ることがあります。
インドネシアのバリ島のお供え物ほど多くはありませんが、タイ北部のお供え物も素敵です。


やはり、ココヤシの葉で編んだ動物たち。
畑に置いて、病虫害が入ってこないことを祈願します。


いろいろな形のものをつくって、畑の神さまにお供えしますが、これは、メーチェンの村で、綿畑に供えられた動物たちです。