2012年9月15日土曜日

スゲで籠を編む


スゲ(や稲わら)の籠を編むための、糸巻き兼錘(おもり)です。
叺(かます)や筵(むしろ)を織るときも糸巻き兼錘を、ボビンレースを編むときもは糸巻き兼錘を使いますが、なぜかそんな錘に惹かれてしまいます。


しばらく前に骨董市で見つけたものですが、この糸を繰り出す、あるいは留めたいところで留める針金のガイドはいったい、何故ついていたのでしょうか?

もともとついていたのでしょうか?それとも糸巻きを買った人がつけたのでしょうか?
いずれにしても、針金をつけている側は二重になっているので、針金のガイドをつけることを前提につくられた糸巻きのようです。


ガイドがなくても、経糸(たていと、スゲを締める糸)が、太めの紐や綱の場合は、錘を一くぐりさせたりして、糸を固定しやすいけれど、細い糸の場合、こんなガイドがあった方が楽なのかもしれません。


農閑期、冬場の副業として使っていたものでしょう。
糸巻きを十二個まとめて縛ってあるわら綱の両端は、ほつれないように、糸を巻いてありました。


これで、黒い糸(経糸)が六列。
スゲの籠をつくるには、十二個の錘が必要だったというわけです。


錘はこの籠に入って、セットになっていました。
普通、骨董屋さんに出回るような古道具は、世代が変わり、生活スタイルも変わって、不要になったものです。
だから、長い間見捨てられて、ぼろぼろになっていないまでも、数がそろっていなかったりしますが、これは籠つくりの勉強ができるほどのそろい方、大切にされていたものだったのでしょう。

さて、縁の方は、もともと「わ」にして、ねじりながら織るのかどうか、きれいに処理されています。そして、底になる方は、平らに織ったものを綴じ合わせてから、


両方からのスゲを重ねて綴ってあります。


こちらが、綴り終わりでしょうか?


内側はこんな感じです。

骨董市で手に入れたときに、まことさんに見せたら、
「秩父のものだ」
と、教えてくださいました。
わら籠、スゲ籠はいろいろな地域にありますが、すこしずつ形が違います。家庭でつくれる種籠、肥料籠、収穫籠などとして使われていました。
これは底が広いので、みかんを盛ったりするのにも使えそうです。

わら籠は、その昔学生時代に、宮城だったか山形だったか、歩いていて行き当たった農家で譲っていただいたことがありました。稲わらは使っていると、ぽろぽろと崩れて、服についたり、埃になったりしましたが、稲わらに比べると、スゲはずっとよさそうです。


実際に、スゲ籠かわら籠が使われていた写真がないかと探していたらありました。
1970年に、山菜採りから帰ってきた宮城県刈田郡七ヶ宿町の男性が稲わらの籠を背負っているところです(『とる・はこぶ、写真で見る日本生活図引』 須藤功編、弘文堂より)。
簡単に1970年代といいますが、今とはこんなに違っていたのです。自然素材ばかり。腰に下げたくるみの木の皮でつくった鉈の鞘が、とりわけ素敵です。

余談ですが、『日本生活図引』シリーズには、『とる・はこぶ』のほか、『つどう』、『すまう』、『たがやす』、『あきなう』などがあります。昭和30年代、40年代の写真を中心に収録して、写真に写っているものの説明が書いてありますが、ほんのちょっと前なのに、本の隅々まで今とは別世界を見ることができます。

今の季節、ちょうど穂を出したスゲを、あちこちで見かけます。
利用することを考えたことがありませんでしたが、道具はあるし、一度籠でも織ってみるのも悪くありません。

なんちゃって、いつになることやら、さっぱりわかりませんが。


追記:

石川県の本田さんから、これはガマではないのかというご指摘をいただきました。
手持ちのガマの籠と比べてみて、うんうんうなりましたが、やっぱりガマかと思いました。本文をなおすこともできますが、このままにしておきます。
本田さん、ご指摘ありがとうございました。





6 件のコメント:

フナコレタロ さんのコメント...

春さま

詳しいこの記事で編みの様子もよく理解できました。いつもドラえもんのポケットのようになんでも飛び出す適切な情報とアドバイスに感謝しております。どうやら私のカゴも、底に平たい一枚をあてて縫い込んでいるのかなぁと思えてきました。須藤功さんの民具写真本ほんとうに見どころ多くて勉強になりますよね。ありがとうございました!

さんのコメント...

フナコレタロさん
フナコレタロさんの籠も同じつくりで、底側の端をばらばらにしていたのを重ねてきれいに編み込んだものでしょう。別の底をつけるというのは、こんな感じです(http://koharu2009.blogspot.com/2014/08/blog-post_)。
ちなみに、菰の編み台は、アンギンの記事を参照してください(http://koharu2009.blogspot.com/2014/06/blog-post_17.html)。
私もいろいろしつこいですね(笑)。
そうそう、須藤さんの本を見ると、1970年代までまったく違う世界が広がっていて、びっくりします。

本田 さんのコメント...

突然ですいません。
スゲのかごを調べていたらこちらにたどり着きました。
石川県の本田と申します。
これは本当にスゲでしょうか。
先日、新潟県歴史博物館で見たガマのかごが、これとうり二つで、横の×もいっしょでした。
もちろん底の作りも一緒で、このやり方は石川県でも見られます。
写真ではよくわからないのですが、スゲにしては厚みがあるように見えます。
スゲを重ねて編んでいるのでしょうか。
スゲを平の状態でに編むものは笠しか知らず、かごといえば縄にして編むものばかりかと思っていました。
国内で他にスゲを平で編むかごがありましたら教えてください。
よろしくお願いいたします。

さんのコメント...

本田さん
コメントありがとうございました。
スゲと思い込んでいましたが、確かにスゲではなくてガマの可能性の方が大きいです。光沢はガマにしては少ないのですが、使っているうちに失われるのかもしれません。
10年前の記事なので直すかどうか、迷うところですが、ご指摘されたこと、追記で書いておきます。
スゲは世界で2000種類、日本にも200種類以上あって同定が難しいようですね。
私が過去に書いた籠、とくに東南アジアの籠たちには、材料に関しては間違えているものがあるかもしれません。ご指摘ありがとうございました。

本田 さんのコメント...

春さま
コメント返していただきありがとうございます。
秩父のものと聞かれたと書かれていたので、スゲのかごで行為ものがあるのであれば知りたいと思い
コメント入れさせていただきました。
以前からちょくちょくブログ拝見させていただいてます。といっても籠のところが多いのですが、
ここしばらく、パソコンの調子が悪く離れていました。
前にアンギンのことでコメントさせていただいたことがあります。
世界中のかごがブログをの中にでてきて、春さまはいったいなにもの? と思っています。
今、このガマやワラやのテゴ(新潟ではこう呼ばれるものが多いようです)の作り方で悩んでいます。
このワラやガマのテゴは編み台と錘を使ってモジリ編みで編まれていますが、、
口のところで折り返して2本一組で編まれるようです。
これが素直に折り返して2本一組で編まれるのであれば編み方は簡単なのですが、
ここに掲載されているものは、ねじって何本か飛ばして折り返しています。
新潟県博や奥三面で見たものは、口の部分が矢羽のような模様となっていて、
まるで網代編みのように飛び、潜りをしています。
これをどうやって作り出しているのかわかりません。
何かご存じことあれば教えてください。
よろしくお願いいたします。、

さんのコメント...

本田さま
籠を編んでいらっしゃるのですね。私は何もできません。愛でているだけです。

学生時代に友人2人と東北に旅した時のこと、2人は早朝から肘折温泉にこけしを見に出かけたのですが、私は体調が悪くて宿に残り、お昼ごろには回復しました。どこに泊まっていたのでしょうね。もう覚えていませんが、田舎でした。寝ていてもと思い、散歩していてふらっと入った農家で稲わらの大きめの籠(テゴ)を見たのが、この手のテゴを見た初めてだったかと思います。
そのテゴを譲っていただいて使っていたのですが、何せ藁のこと、持ち歩いたりしている間に擦れてぼろぼろとわら屑が落ちるようになり、ゴミだらけでやむなく処分して手元には残っていません。そのテゴが籠好きになったルーツかもしれません。

我が家にあるテゴも、まっすぐに折り返しているもの、斜めになっているもの、模様になっているものがありました。私には編んであるもののつくり方はわかりませんが、それを今日は記事にしてみます。