2012年6月30日土曜日

バター攪拌機




バター攪拌機には、何故か惹かれます。
以前住んでいた家の棚の上の天井近く、真ん中に置いてあるバター攪拌機は、1950年代のイギリスのものです。
ガラスビンに牛乳を入れて、蓋についているつまみを回すと、歯車でつながっているガラスビンの中の木の羽がくるくる回転して、やがて牛乳が分離してバターができます。といっても、やったことはありませんが、二時間ほどかかるそうです。

ハイテクのようで、なんだかおかしいほどローテクでもある、不思議な雰囲気の道具です。


二十年も前から持っていたバター攪拌機は、高杯に乗せて、土間のぐらぐらしやすい飾り台に置いていたのが仇となり、昨年の地震でガラスビンが粉々に砕けてしまいました。


あのときは、いろいろなものが壊れました。でも、壊れたものを惜しむより、残ったものに感謝する気持ちの方が強かったものです。
ただ、バター攪拌機は蓋が残っただけに、目にするたびにガラスビンが思い出されていました。


そんな思いが通じたのでしょうか、似たものが見つかりました。
こうして並べてみると、壊れないで二つ並んでいたら、どんなによかったことかと思ってしまいます。


残された蓋を、お菓子のビンに乗せてみました。ちょっと口が合っていません。

ガラスは割れやすくて、中の木の羽は消耗品です。それに比べると、歯車のついた蓋はたいへん頑丈にできていて、ちょっとやそっとでは、壊れそうにありません。昔は、ガラスビンや木の羽の別売りがあったに違いありません。
いつか、蓋にあったガラスビンに回り逢いたいものです。



2012年6月29日金曜日

中米手仕事の服




1970年ごろ、アメリカに住んでいたとき、路上でこのブラウスを着た人と出会いました。
臆面もなく、どこで買ったのか聞いて、その足で行ってみました。
裏通りの小さな用品店で、普通の服に混じって、たった一枚だけメキシコの刺繍のブラウスが残っていました。
値段は忘れもしない35ドルでした。35ドルは今だと3,000円くらいですが、当時は1ドル360円でしたから、12,600円でした。


下にスカートやパンツを組み合わせて着ましたが、ミニスカート全盛のころは、ワンピースとしても着ました。
後に知りましたが、メキシコのオアハカ州、サン・アントニーノ村の刺繍でした。


なけなしのお金をはたいて買ったブラウスは、着なくなった今でも、大切に箪笥にしまってあります。


花模様だけでなく、胸と背中の、小さな男女が手をつないだ刺繍が特徴です。


この、幅の狭い手織り布をつなぎ合わせて、 手を出す穴だけを残して両脇を綴じ、首を出す穴を開けた丈の短い貫頭衣は、グァテマラのものでしょうか?


織り出した模様だけではなく、胸や肩に刺繍もしてあります。

この形のブラウスが欲しいと探しはじめてから何年も経って、やっとめぐり逢ったものです。

襟ぐりが大きすぎるものが、大半でした。前後同じ形に首穴を開けてあるので、穴があまり大きいと、背中が見え過ぎます。穴が横に大きくて、肩からはずれそうなのもありました。
反対に、襟ぐりが小さすぎて、首が入らないものもありました。他は気にいっているのに、首だけ小さいものは、自分で直すことができるかと、手にしてしばし悩んだりしました。

布が目のつんでいないもの、手触りの悪いもの、織り模様や刺繍が雑なもの、ほとんど模様のないもの、色が好きでないものなどもありました。
また、サイズも、大き過ぎるものや小さすぎるもの、値段の高すぎるものなど、どこかしら気に入らなくて、これだと思うものに出逢えるまで、ずいぶんの枚数を見ました。


いろいろなお店でさがしましたが、最終的にこれを買ったのは、確か赤坂ひとつぎ通りにあった(今も、あるかもしれません)、中南米の衣類とカフェのお店でした。


布は厚手ですが、横幅があるので身体から浮いて風を通し、夏に楽しめる涼しい服です。


2012年6月28日木曜日

包装籠


はじめから、パッケージのおもしろさにつられて買い物することがあります。
また、中身が好きだけど、パッケージもお洒落で、ちょっと得した気分というものもあります。
 

包装のことなど全く期待していなかったのに、思いがけず素敵に包装してもらうと、大いに得した気分になってしまいます。

カンボジアでは、いろいろなものを、パルメラヤシで編んだ籠に入れてくれることがあります。
籠は包装紙の替わりですからで、太く裂いた葉でちゃっちゃとつくった、趣のないものもありますが、捨ててしまうのは惜しいほど、きれいに編まれたものもありました。


これらは、どれも包装に使われていた籠です。
最近は、最初から彩りも鮮やかな美しい籠に入れた、コーヒーやスパイスなどもお土産品として売られています。


1980年代の初め、まだカンボジアにもヴェトナムにも行ったことがなかったころ、
「あらっ、これ持っていなかった?」
と、フランス生まれのヴェトナム人の友人アンがくれた、ヴェトナムの草で編んだ、大きな籠バッグです。


のちに、カンボジアやヴェトナムに行ったり暮らしたりして、買い物をすると、大小の籠バッグに入れてくれることがありました。

マチつきの籠バッグもありますが、私はぺったんこのバッグの方が好き。柔らかいので、中に不定形なものを入れると、バッグが中身の形に歪みます。


ただ、残念なことに、持ち手がちゃちにできているので、たいして重くないものを入れても、すぐ持ち手から壊れていきます。

私の持っている一番大きいバッグは、幅60センチ、深さ40センチですが、その倍以上の大きさのバッグを見たことがあります。
巨大な草籠バッグに大きなものを入れて、運ぶ途中で持ち手が取れたら悲惨ですが、そんなときはきっと、バッグごと紐でぐるぐる巻きにして運ぶのでしょう。そんな姿を見たことがあります。



2012年6月27日水曜日

田植え完了。よしっ!


危ぶまれていた田植えがやっと終わりました。ほっ。

夫と二人で、膝が痛いだの、腰が痛いだの言っていて、しかも揃って風邪を引いて、何もできない日々を過ごしていただけに、や~れやれです。
一面草が生えていたのを、直前に刈って植えました。植え終わったところに、苗の色がかすかに見えます。

久々の不耕起なので水を抜いて田植えしましたが、たった五畝に、四日もかかってしまいました。一気に植えられなくて、
「今日はこれまでにしようか?」
「そうしよう、そうしよう」
などと、たらたら植えていたからです。

カンボジアの米どころプレイヴェンでは、一家族で二町歩もの田んぼを持っている農家がざらにあります。
もし私たちが二町歩の田んぼを持っていて、この調子で植えていたら一反で八日かかる計算ですから、二町歩を植え終わるのに160日かかります。植え終わる前に収穫作業にも取り掛からなくてはならない、なんてことになります。
しかも、洪水が激しい年は、せっかく植えた稲が、長期の冠水でだめになり、もう一度植え直さなくてはならなくなります。となると、私たち夫婦だと、他のことは一切しないで、一年中田植えに専念してなくてはならなくなります。
あぁ~あ。
 

植え終わってから水を入れました。水がどんどん流れてきます。


今の時期、谷川を堰き止めて、水はポンプで供給もしてくれていますが、みんなと時期がずれているので、そのうち使えなくなります。
側溝にプラスティックの箱をはめて、そこから引かせてもらっているのが頼りです。

不耕起の場合、夏草の成長期との関係もあり、六月末の田植えがベストです。だから、焦る必要はないのですが、この四年ほどは、周りと同じ時期に植えていたので、ちょっと気が急きました。

蛇口をひねると出てくるポンプの水は便利だけれど、側溝や反対側の谷川の水があるし、この田んぼだけ刈り残ったときにイノシシがやってきたら、イノシシ除けの電気柵を使えばいいし、のんびりやりましょう。


今朝の田んぼです。

2012年6月26日火曜日

ノクシカタ


探しものをしていたら、以前T夫妻からいただいたバングラデシュの刺繍布、ノクシカタが出てきました。
ノクシカタは刺し子です。もともとは、着古した布を何枚か重ねてちくちく縫って、赤ちゃんのおくるみやおむつにする目的でつくられていましたが、今では、手の込んだ刺繍がされた、装飾的な布がつくられています。

このノクシカタは、よく見ると、刺繍がとてもうまい人がつくったものだとわかります。

象が三匹刺繍してありますが、針目の揃って細かいこと。


どの象も素敵です。
魚や鳥も、よく使われるモチーフです。


そして、この象に乗っている人が手に持っている、風車のような模様も、ノクシカタにはよく使われる模様です。


しまっておくだけでなく、飾るといいのですが、なかなか飾る場所がないのが問題で、ひとしきり眺めたあと、やっぱり箪笥に逆戻りさせてしまいました。
でも、飾る場所はともかく、額装しておこうと考えています。


ずっと昔、ダッカのNGOのショップで手に入れたシンプルなノクシカタも取り出してみました。

 

模様が単純なだけでなく、T夫妻にいただいたものとは比べものにならないほど、刺繍が稚拙です。もしかして、ノクシカタをつくりはじめたばかりの、小さい女の子が刺したものでしょうか?


ノクシカタの昔を伝えているようで、このノクシカタも大好きです。


2012年6月25日月曜日

ベドウィンの敷物



一匹、お腹が痒い犬がいます。
毎朝、寝室に敷いてある、ベドウィンの敷物に、激しくお腹をこすりつけます。お腹の毛がすり減るくらいならよいのですが、一度皮膚が破れて傷になり、そこからばい菌が入りました。
というわけで、残念ながら敷物を片づけてしまいました。
干して、きれいに犬猫の毛を取り除いて、畳んでしまいました。

この敷物を見ると、私の民具収集の歴史は、言いかえれば重いものやかさばるものの運搬の歴史だったなぁと、しみじみ思います。


それは、ヨルダンのアンマンから陸路でパレスチナのエルサレムに入ったときの帰り道でした。再び国境を越え、アンマン空港に近いホテルに着いて、まだ日暮れまでには時間があったので、町の中心部にバスで出かけてみました。
みんなが公園代わりにしているローマ時代の円形闘技場の一番高いところに登ってみたり、あてどなく歩いて、仕事からの解放感を楽しみました。

アンマンの街は小さいけれど、落ち着いています。
パレスチナでは見られないことに、女性はほとんどすっぽりとニカーブ(ベール)をかぶっていますが、旦那さんと手をつないで、華やかな声でおしゃべりしながら歩いていて、笑い声がニカーブの中から響いたりすると、その艶めかしさに、どきっとさせられました。

のどが乾いたら、コーヒースタンドがあります。
椅子もなくて、道端での立ち飲みだし、客は男性ばかりでしたが、喉の乾きには勝てず近づいて注文しました。すると、コーヒーを飲んでいた、背の高い男性が話しかけてきました。
彼は内戦を逃れてヨルダンまで来た、スーダンの難民で、アンマンで働いているとのこと、逃げてきたときのことなどしばし話し込みました。そして、私より先に帰るとき、なんと私のコーヒー代も払って行ってくれました。

素晴らしい!
スーダン人にヨルダンでご馳走してもらうなんて、めったにあることではありません。


さて、コーヒーを飲んで元気が出たら、通りの反対方向へと歩いてみます。

しばらく行くと、敷物屋さんがありました。一階には新しい敷物がきれいに並べてあり、二階には古い敷物が積み上げてありました。
二階で、根気よくひっくり返して、気に入った敷物を二枚見つけました。お祈り用の短い敷物ではなく、ベドウィンがテントの中に暖房のために敷く、自分で織った、幅約90センチ、長さ約250センチの敷物です。 一枚は経糸(たていと)が麻で、緯糸(よこいと)が手紡ぎの羊毛を草木染めにしたもの(写真上)で、もう一枚は経糸緯糸ともに羊毛でできていました。


こんなとき、重いからあきらめるとか、かさばるからあきらめるという選択肢は、私にはありません。すでに大きすぎるほどの荷物を持っているというのに、迷わず買ってしまいました。

そのあとは、もちろん大変でした。重い敷物に引きずられるようにして、家にたどりついたときは、もうへとへとでした。

写真は、長いので半分に折った敷物です。




2012年6月24日日曜日

新しいマーガリン入れ


夫が手を滑らせて、マーガリン入れを割ってしまいました。
マーガリン入れとして使えそうな蓋物はいくつかあるけれど、ナイフを一緒にしておけないものは困ります。些細なことですが、使うたびにナイフを別のところから出してくるのは、長続きしないような気がします(やっていたこともありましたが)。
よい案もなく夕方、お隣の「八郷910」のKさんにバター入れがあるかどうか、聞いてみました。


商品はないけれど、試作品や自宅用に取り置いたものならあるとのこと、行ってみました。
陶器に木の蓋の長方形のもの、全部木でできている長方形のもの、そして、まだ旋盤もなかったころ彫ってつくったという、丸い形のものがありました。
 

丸い形のものの中には、ガラスの鉢が入っています。
バターと違ってマーガリンは、ずいぶん木に染み込みます。洗うときのことも考えると、ガラスの鉢が入っているのは、使い勝手がいいかもしれません。


ということで、丸いのを選んだら、昔つくったものだからと、代金を受け取らず、いただいてしまいました。


バターナイフは蓋にさしておきます。使うたびにナイフは洗わなくてはならないとしても、一緒に仕舞っておけるので、これならすぐ使えます。

というわけで、八年ぶりくらいにマーガリン入れが新しくなりました。

世の中には結構バター派が多いことに感心します。でも、冷蔵庫に入れておいたバターは硬いし、私たちはいつもはマーガリンです。


2012年6月23日土曜日

インクリボン缶


お菓子の箱などに結んであるリボンを捨てられないのは、母譲り?祖母譲り?それとも私が古い人間だからでしょうか?
いつか役立つかもしれないと、一応取って置きます。
取っておく基準は、アイロンをかけられること。リボンによっては、低温のアイロンでもちりちりになってしまうものもあります。

もともと、リボンはくるくる巻いて輪ゴムで留めたり、五角形に巻いたりして、裁縫箱の中に転がしておきました。
ところが、必要な時に見つからなかったり、古びて使いものにならなくなっていたりで、取っておいても結局はほとんど捨ててしまっていました。


十年ほど前に、タイプライターのインクリボンの入っていた缶にリボンを入れたらどうだろうと思いつきました。
アメリカ製のインクリボン缶です。

たった30年前まで、コンピュータは普及していなくて、日本語はみんな手書き、英文はタイプライターでした。
へたくそでも仕方がない。必要に迫られると、写しのカーボン紙を重ねて、タイプライターをたどたどしく打っていました。リボンのインクがだんだん薄くなって、取り換えると、手が真っ黒になりました。
その感覚がまだ手に残っているというのに、もうインクリボンは過去のものになってしまいました。


リボン缶にリボンを入れると、ぴったりです。
折れ目もつかないし、なくなりもしない。それに、一目でどんなリボンを持っていたか思い出せるので、必要な時に必要なリボンが使えます。




2012年6月22日金曜日

絵馬

昔は、神社に生きた馬を奉納していたものが、簡略化して、馬の彫像となり、絵馬となったと言われています。
でも、考えてみると、私は一度も願い事を記して絵馬を奉納したことがありません。
絵馬を手に入れたら、家に飾っていますが、こんなことでもいいのでしょうか。


今戸神社の縁結びの絵馬です。
今戸神社の招き猫もかわいいけれど、絵馬もいい感じです。


招き猫発祥の地と言われている世田谷豪徳寺に、十数年前だったか、絵馬を求めに行きました。
「絵馬はどこにありますか?」
と、社務所にたずねたら、
「当寺には絵馬はありません」
「えっ?あるはずですけど」
「ちょっとお待ちください」

「すみません、ありました」
なんてやりとりがあって、やっとどこからか見つけて来てくれました。
この絵馬は、特徴のある豪徳寺の招き猫には、あまり似ていません。大騒ぎして探してもらったのでなかったら、もしかしたら買わなかったかもしれません。


ちょっと分厚い板を使った、日光東照宮の眠り猫です。



京都伏見稲荷の絵馬は斬新です!
とってもシンプルな形と色なのに、狐にしか見えません。


その昔、長男を出産するときに、夫の母がくれた、水天宮の犬張り子の絵馬です。年月がたって、板は色づきましたが、絵のかわいさはそのままです。

つくられはじめたころは、絵馬はもちろん一つ一つ彩色されていました。でも。今日では、どこのもプリント(と、ときどき焼印)です。
プリントでも水天宮の絵馬はとっても素敵、絵馬の横綱ではないかと思います。

と、ネットで見てみたら、水天宮では、現在は全然違う絵馬しか授与していないみたいでした。数十年経っているのですから、無理もありませんが、ちょっと残念です。

2012年6月21日木曜日

ガラス de 文房具


何の変哲もないけれど、ちょっとかわいいインクビン。


何を意匠登録したのか、意匠登録の文字と富士山のエンボスが目立つインクビン。


底には、ダビデの星にPのロゴまでついています。


そして、なんの変哲もない、海綿入れ。


ちょっと昔の文房具は、素敵でした。