2011年11月28日月曜日

いりこかご





いりこ(煮干)かごです。
宮崎県の日之影町に住む、小川鉄平さんにつくっていただきました。

小川さんとは、水俣のかごやさんのご紹介で、前々から欲しかった「かるい」をつくっていただいて以来のおつき合いです。




廣島一夫さんの作品集である、『A Basketmaker in Rural Japan』(ルイーズ・コート、中村憲治著)のなかには、美しい籠がたくさん載っています。
日本を代表する籠師である廣島さんのつくるような、美しい籠を手にすることはできないかと、以前、小川さんにお願いして、「腰てご」をつくっていただいたことがありました。




伊那の知人宅にも、小川さんのかるいが置いてあったりして、お会いしたことはないものの、身近に感じる小川さんに、「いりこかご」をお願いしたのは、もう五年も前のことです。
「また時間がかかりますが、喜んで」
というお返事をいただいて、楽しみにしていました。

それから、三年くらい経ったある日、突然、「いりこかごを発送した」というお電話をいただきました。値段が高くなったので、あらかじめ知らせておくために電話したとのことでした。

その値段を聞いて、電話口で一瞬息を呑みました。予定していた値段のほぼ倍でした。
ついつい、
「もっと前に言って欲しかった。今回は払いますが、もう一つお願いしている籠は、手をつけてなかったら、なかったことにしてください」
と、言ってしまいました。

籠つくりがたいへんな仕事であることはわかっています。しかし、私が籠に支払う金額は、私の中でほぼ決まっています。それ以上であったら、欲しくても手を出さなければいいのです。

人から見れば、「なあんだ」という額であっても、なんとなくそこを越えたくありません。矜持というほどのものではありませんが、自分の「分」をわきまえるというか、不必要な贅沢はしてはいけないという気持ちが、どこかにあるのです。




さて、まもなく荷物が届きました。
いりこかごは素晴らしいできばえでした。

生活習慣の変化から、長年かかってつくりあげ、継承してきた手仕事の技術が失われようとしているのに、小川さんは生活をかけて、手仕事を次の世代に継承しようとしているのです。そのことが、いりこかごからひしひしと伝わってきました。

頭が下がる思いでした。
これ一つつくるために、いくつの試作をなさったことでしょう。
しかも、農具などと違って、これからいりこかごを注文する人は、日本国じゅう探しても、ほとんどいないだろうと思えるのに....。




その夜、小川さんに電話しました。
失礼なことを言って申し訳なかったこと、いりこかごは快くいただいたこと、もう一つお願いしている籠も、こつこつお金を貯めておくので、お願いしたいことなどを伝えました。




今、我が家のいりこは、母からまわってきた手漉き和紙のちり紙に乗って、「世界一ぜいたくないりこ」として、いりこかごに収まっています。
いりこかごにあふれんばかりの量のいりこは入れられませんが、いりこも幸せそうです。




片づけ忘れたのか、縁巻きに使ったひごが一本、籠の中に残っていました。
素敵に美しいひごでした。


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