2011年8月21日日曜日

アシャンティ式鋳物のつくり方




ガーナに住んでいた頃、知人に知らせてくれるよう頼んでおいて、鋳込みがが行われる日に、クマシの町の近くの鋳物をつくる村に見学に行ったことがありました。

鋳物をつくるには、高温を得て、金属を溶かさなくてはなりません。青銅の融点は1,100度くらいです。
それに、高温で溶けた金属を入れておくのに耐えられる容器、坩堝(るつぼ)が必要です。
いったいどうやって金属を溶かし、型に流し込むのだろうと、興味津々でした。

村に着くと、職人さんの前においてあるのは、ただの七輪だけでした。七輪にはコークスが入っていて、椅子に腰掛けた、短パン姿の職人さんは盛んに吹子で風を送っていました。

村の吹子は、イギリス式の普通の吹子でしたが、ガーナ北部に行ったとき、鍛冶屋さんでおもしろい吹子を見たことがあります。
その吹子は、毛のついたままのヤギの皮でできていました。首のあったところに、木を刳り抜いてつくった円錐形の送風口がついています。そして、前足のあったところは縫い閉じてあって、後ろ足のあったところに木のハンドルをつけています。
そのハンドルを左右かわりばんこに押すと、ヤギの身体が膨らんだりしぼんだりして、風が送られるという仕組みです。

今だったら、写真を撮るところですが、当時はなかなか。
プリント用フィルム(白黒)は日本に送って現像して、送り返してもらっていましたが、スライドフィルムは、アグファに現像代込みのフィルムがあり、ドイツまで送って現像してもらっていました。
コダックフィルムもありましたが、こちらはイギリスに里帰りする人に、現像をお願いしたでしょうか?
そんな時代でした。

やがてコークスがかんかんに熱すると、その上に、真ん中が少しくびれた、ずんぐりした松茸のような形の土の塊を置きました。あとはひたすら、吹子で風を送ります。

いったい何を置いて、何をしているんでしょう?
見ただけではわかりませんでしたが、説明を聞くとなるほどと思います。

彼らは、まず地金(材料)を湯道だけ残して、土ですっぽり包みます。別に蜜蝋でつくりたいものの形をつくり、湯道も蝋でつけておいて、それも土(蝋型)で包みます。
地金をくるんだ土に開けた湯道になる穴と、蝋型の湯道をくっつけるようにして、一回り土を巻き、接合して一つにします。そして、よく乾かします。
それが、七輪の上に乗っていた、松茸形の土の塊でした。

七輪の上では、蝋型をくるんだ方をを下に、地金をくるんだ方を上にして、ひたすら風を送って温度を上げます。やがて蜜蝋は土に染みこんで出ていき、できた空洞に溶けた地金が上から降りてくるという仕組みでした。
実に簡便な方法です。




日本で、蝋型の鋳物をつくるときには、地金(前につくったものの湯道や、新しい材料など)を坩堝に入れて溶かすかたわら、土で包んだ蝋の原型は、湯道を下にして焼いて、蝋を溶かし出し、すっかり蝋が溶けて出たら、湯道を上にして、そこに溶かした地金を流し込みます。
蝋型の温度が低すぎれば、溶けた地金は途中で固まり、隅々まで行き渡りません。蝋型の温度が高すぎると、ふつふつと地金が泡立ってしまい、型の肌を荒らして、きれいにできません。

それに比べると、ガーナの方法は、神経を使わず鋳込むことができます。

もっとも、地金(前の作品の湯道など)が、思い思いの形をしていると土でうまく包めませんので、小さな坩堝を使って、あらかじめ地金を溶かして、必要な大きさの塊にしておくようです。
そのために使う坩堝は市場で売っていました。底が尖った三角錐を逆さまにしたような形をしているものでした。




青銅の人形は、行商人たちが運んできたものです。
アシャンティ独特の平べったい頭で、独特の表情をしています。




夫の両親へのお土産にした、首長の戴冠式の人形も、




私の両親へのお土産にした行列の人形も、年月を経て、我が家に出戻ってきました。




いまでも、ガーナでは、鋳物の人形がつくられているのでしょうか?




これは、夫が最初の訪問から30年ほど経って再訪したときに買ってきてくれたものです。
トカゲ、カエル、カメですが、ループがついていて、首からかけられるようになっています。

鋳物づくりは、まだまだ健在のようです。といっても、これも随分前のことですが。

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