2011年6月23日木曜日

フェイスブック考





「ねえ、世界中の人とお友だちになりたいと思わない?」
と、遊びに来ていた下の息子が言います。
「思わない」
と、私。
「J.Oなんかと、連絡取れるよ」
「メールで取ってるもん」
「う~ん、じゃあ、昔の友だちで、消息が途絶えてたりして、あの人に会いたいなぁって人いない?」
「いない。あっ、カンボジア人が一人いたけど、メールアドレスがわかって連絡ついたからもういい」
「その人なんて名前?」
「C.N」
「きっと、フェイスブックに登録しているよ」
「まさかねぇ」
さがしていた息子が、
「この人?」
「違うよ。女じゃなくて男」
「じゃあ、この人?」
「あっ、そうよ!へ~ぇ、C.Nはフェイスブックに登録してたんだ」




こうして、息子に乗せられて、フェイスブックに登録して、C.Nとお友だちになりました。

「卒業大学とか書いておいたら、それで検索した人も連絡つけてくれたりするよ」
「ふ~ん。あっ、高校の名前は書かないで」
「どうして?」
「今私は行方不明になっているの。見つかったら同窓会費払わなくちゃならなくなるから。同窓会費って、高いんだから」
同窓会費は、もう15年分くらい未払いです。一度に払うなんて、とてもとても...。

「あっ。僕とは友だちにならないで外しておこう。僕の友だちに変なやつがいるから」
と息子。
いったい、フェイスブックってなんなの?




フェイスブックに登録してしばらくして、インドネシアにいる、日本人の友人S.Yさんからお友だちになりたいというリクエストが来ました。彼女のメールアドレスを知っているけど、もちろん、喜んでフェイスブック上の友人になりました。

自分から何一つすることもなく、フェイスブックの存在すら忘れた頃、15年ほど前から音信不通になっていたタイ人のK.Sから、連絡が入りました。
最初は、「元気、どこにいるの?」というもの、次は、「お友だちになりたい」というものでした。
もちろん喜んで、お友だちになりました。

「ひゃぁぁ。見て見て!K.Sだって」
フェイスブックには冷ややかな夫に見せていたら、K.Sからまた連絡が来ました。立て続けです。
「お友だちとして、I.Kを紹介したい」
えっ、いりません。
日本人のI.Kとは、もし連絡をつけようとしたら、勝手につけられます。20年以上会っていない彼と、フェイスブックで何を話せばいいのか、想像もつきません。そのリクエストは放置しました。




夫は、
「な、めんどくさいじゃないか。俺はやらなくてよかった」
と言って得意そうです。
「残念でしたね。私の紹介の写真に、きみもくっついているわよ」
そうです。私のフェイスブックでの紹介写真は、息子が勝手に選んで載せたもので、夫とのツーショットです。

カンボジア人のC.Nとも、タイ人のK.Sとも、長年一緒に働いてきました。仕事をしていた当時は毎日、話しても話しても話すことが尽きませんでした。しかし、仕事を離れた今となっては、なにも話すことがありません。
C.Nは、どこでどんな仕事をしているか知っていますが、K.Sは現在何をしているのかも知りません。

私は古い人間なのでしょうか。冷たい人間でしょうか。フェイスブックを日常的に活用するという展望が持てません。

ところで、最近、近くに住むI.Aさんから、メール代わりにフェイスブックで連絡が来ました。メールアドレスは知っているはずなのに...。
もしかしたら、フェイスブックって、メールより簡単な、次世代のただの通信手段なのでしょうか?




後日談:
お友だちになるのを保留していたI.Kから、直接お友だちになりたいという連絡が来ました。
ほっほっほ。
とうとう、お友だちになってしまいました。



4 件のコメント:

S.Y さんのコメント...

ふふふっ。 実は私も、フェイスブックって一体、何?から始まり、勧められるがまま、なんとなく使っています。
 
便利なのは、複数のお友達と写真や情報を簡単に共有出来ることです。不便なことは、お友達が増えすぎてしまったこと。 あれ?この人、誰だったっけ?って人が沢山…。 お友達リクエストが来たから知り合いかと思って登録したら、全然知らない人だったり。 最近は余程の知り合いでないと、友人登録はしないことにしましたが、正体の解らないお友達は、全くほったらかしで今のところ特に問題はありません。 一番問題なのは、私が外国人の名前を覚えられないことかもしれません…。

日本人よりも外国人のほうが、もう当たり前の通信手段として使っているようですね。 中には携帯電話から一日中、フェイスブックしている人も。 ほぼ中毒状態…。 便利に使えるか、情報に振り回されるのか、その人次第のようです。

 

さんのコメント...

S.Yさん
あれから、紹介されようとした人から直接連絡があったことは、後日談に書きました。彼は承認しましたが、多分そのルートで、また別の人からも連絡がありました。その人も承認すると、「もしかしたら共通のお友だち?」って欄があって、知っている人がいっぱい載っていて愕然としました。もちろん無視。
今日は、まったく知らない名前のタイ人からメッセージが届いて「T.Yから私が田舎に住んでいると聞いた。元気か」ですって!誰?写真には花の写真を載っけている。そんなずるい人とお話しする気にもなれませんが、いちおう、T.Yにメールで、「あれは誰?」と問い合せています。
名前と写真を見て、知らない人は承認しないをマークします。そしてら、永久にその人のメッセージが届きませんとの表示が出ますが、「あれっ、もしかして知り合い?これでよかったのかしら」と悩んだり面倒です。
フェイスブックからは、「この頃のぞいてないようですね」とおせっかい。最初から、全然のぞいてない私でした(笑)。
息子によれば、ニュースのように毎日知人の動向を知ることができるのですって。あ~ぁ。便利なのか不便なのか。

hana-ikada さんのコメント...

そういえば2年くらい前に
友人に紹介されてフェイスブックに登録しました。
そのまま放置してしまってますが、時々「〇人の方が返事を待っています」なんて連絡がきます。(通知は拒否できるようですが)
写真は拾った「けろよん」にしているので
やはりずるいのかしら?(笑)
今のところフェイスブックにとりかかる(心の)余裕もなくて(^^;ゞ

さんのコメント...

hana-ikadaさん
あはは、けろよんはやっぱりずるいですね(笑)。今は無名性(このブログもそうですが(汗))がまかり通っていますが、コンピュータ上も、だんだんと実名性に移行しているのでしょうか?
コメントの中にある、友人に問い合わせた、知らない名前のタイ人は、すでに連絡してきた人の別名でした。
「堂々と、実名の方で連絡せんかい!」と私は大立腹、彼の評価は坂道を転げるように落ちています。15年ぶりに連絡をもらったというのに(笑)。
フェイスブックは、息子がいつでものぞけるようにと、デスクトップ上の一番開けやすい場所に設定してくれましたが、一度も開けたことがありません。
でも、1980年代の終わり頃でしょうか、メールが次世代の通信手段になると強く勧める人がいて、やってみたけど面倒、「電気もない農村はコンピュータも使えないしどうするんだ?ばっかじゃなかろか」と嘲っていましたが、ケイタイがその問題をあっさりクリヤーしました。今ではテレックスもファックスも遠いものになりました。

まあ、しばらくは様子見というか、私も無視です。