2011年1月2日日曜日

お椀



おせち料理はつくりませんでしたが、お雑煮はいただいています。
我が家のお雑煮は、瀬戸内海の現水島工業地帯のあたりの漁村で育った、私の祖母の実家風のお雑煮です。子どもたちはそれで育ったのですから、「おふくろの味」の行方には、興味深いものがあります。

もっとも、結婚した次男はどんなお雑煮を食べているのでしょう?

ちなみに、夫の亡き母は、東京の甘味処で頼むと出てくるような、江戸風のお雑煮をつくっていました。




我が家でもっとも使用頻度の高いお椀です。
欅に拭き漆で、縁と糸敷きには布が張ってあります。大ぶりなので、味噌汁、お雑煮、なににでも重宝します。中国製で、値段は、1500円ほどでした。
「そんな値段じゃあ、木地代にもならないから、とうてい太刀打ちできない」というのが、隣に住む木工家たちの意見です。
益子のお店で見たとき、二つしかなかったので、もっと買いたいと思いましたが、以後、目にしませんでした。そのお店は、陶芸家たちの話によると、商品の5割から6割の値段で仕入れているそうですから、仕入れ値は800円くらいということになります。
いったい中国の生産者たちは、いくら手にしているのでしょうか?




木曾の小学校の給食に使われている、漆の食器セットです。
「これさえあれば、最小限の食器で、とても豊かな生活ができる!」と、熟考のうえ購入したものです。しかし、わりとよく使っているものの、これだけで生活するなんて、夢のまた夢。最小限生活をするのには、煩悩が多すぎます。

子どものお客さんが来たとき、取り皿としてよく出しますが、漆があまりにもきれいに塗られているし、木に狂いがなくてゆがんでもいないので、お母さんたちは、「器を割らないように、子どもにはプラスティックをあてがわれたんだ」と、勘違いしているかもしれません。
もちろん、漆のお皿やお椀であることを、聞かれないのに説明したりはしません。




仁城義勝さんのお椀です。小ぶりで浅いので、そばちょこの代わりに使ったりもします。
仁城さんの器はどれも素敵ですが、自分で木地を挽くところからつくっているとか、一時にいろいろな形のものをつくらず、できるだけ同じ形のものをつくるようにして、値段を抑えているとか、その制作態度にも惹かれます。




実家にあったものです。
汁椀ではなくて、おひら椀と呼ばれていたものです。お大師講の集まりなどのとき、甘辛く煮た厚揚げを大きいまま乗せて、真ん中にすりおろした生姜を置き、汁をひたひたに張って出します。
たくさんあったので、妹たちと分けましたが、底がひび割れたりして、いくつかだめにしました。同じ漆といっても、昔の漆と今の漆では違うのでしょうか。それともご先祖様が安物を買ったのでしょうか。




これも、おひら椀でしょうか。こちらは、骨董屋さんで買ったものです。
大人数で集まったとき、豚汁をつくったりして、お椀がたくさん必要になるときがあります。そんなとき、お椀は勢ぞろいしますが、普段はお汁粉を食べるときくらいしか出番がないものです。

でも、漆の器が食器棚に並んでいるだけで、心が豊かになってしまう私です。



0 件のコメント: