2010年11月29日月曜日

中野の招き猫






3年ほど前になりますか、NHKの『おしゃれ工房』のテキストに、招き猫のつくり方が紹介されていました。
招き猫と聞いては放ってもおけず、指定された材料を買ってきてつくりました。
粘土をはじめとする材料は、最小単位で買ったのですが、もう一匹つくれるくらい、余ってしまいました。

どうしよう...。




というわけで、手に入りにくい中野人形をつくることにしました。

写真を見ながら、見よう見まねでつくりました。
一度、中野(長野県)の町に行ったときに、商店街のショーウインドーに飾ってあった、本物の中野招き猫を見たことも、大きさなどを決めるのに、参考になりました。




ユージンのフィギュアが手元にあったのも、よかった。




ちょっと、粘土がでこぼこしていますが、そのくらいは我慢しましょう。




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2010年11月28日日曜日

人気のおもちゃ




今年の夏は、暑過ぎることが大きな話題になりましたが、八月いっぱい雨が降らなかったことは、農家には大きな打撃でした。
広大な畑に、水を撒くといっても、限度があります。また、九月に入り、久し振りに雨が降ったら降ったで、ヨトウムシなどが大発生して、作物を喰い荒してしまいました。
鶏も暑さに弱って、餌の配合で乗り切ろうとしても、卵の数がめっきり減ったりと、後遺症は、まだまだ続いています。
そこで、昨夜はそんな脱都会の農家(元同僚たち)を励まそうと、ささやかな夕餉の宴を持ちました。

そこで感心すること。
小学生二人、幼稚園児二人いたのですが、都会の子どもに比べると、大人の目を気にしないで、本当によく遊びます。「ねえねえ、なんのこと」、などと、大人の話に割り込んでもきません。
家に来る子だけかもしれませんが、都会の子は、いつも自分に関心を持っていてもらいたがります。




そんな、少年少女がもっとも夢中になったのは、フリーダムゲイト。
一番大きな真四角の板(囚われの姫とも言う)を、他の板を動かしながら、下の切れ目(自由の門)から出すゲームです。
姫の真下の横長の板が一番邪魔ものなので、小さい真四角の板と、上手に入れ替えながら動かします。残念ながら、手本を見せようにも、長い間遊んでなかったのですっかり忘れて、とうとうできませんでした。




つぎに人気があったのはソリティア。幼稚園児でも、玉をたった一つしか残さないのに脱帽。私は、五つも残ったりするのに。

持ってきたトランプでも遊んでいましたが、フリーダムゲイトの人気は、最後まで衰えませんでした。




グリコのおまけは、ぐちゃぐちゃにはなっていましたが、小さ過ぎて、あまりおもしろくなかったみたい。




石けりの玉は、子どものお母さんたちも含めて、その存在すら知らないので、びっくりしました。
遊び方を説明すると、「ああ。なんだ、けんぱーか」と言うのですが、本当の石で遊んでいるようです。

本当の石が、ガラスの石けりになって、また石に戻っているってどういうこと?
「危ないガラスで子どもが遊ぶなんて、もってのほか」という風潮なのでしょうか。


2010年11月26日金曜日

手箕




手箕は、収穫したり、精白したりした穀物や豆類を、ゴミと選別するための道具です。
世界には、大きく分けて、二つの形と、二つの使い方があります。

一つは、ちりとりのような形をしていて、一辺が平らになっています。もう一つは、平たい円形をしていて、縁は、全体にちょっと高くなっています。




使い方では、できるだけ手箕を高く掲げて、選別したいものを落として、風でゴミを飛ばす方法と、




空中に放り上げて、ゴミをはじき出していく方法があります。

一枚目の写真はマレーシアのサラワク州のウマバワン村での写真ですが、日本では、これと同形の手箕で、同じ方法で選別します。

二枚目は、フィリピンの北ルソンのウボット村での写真です。丸い手箕を使い、打ち上げて、搗いたお米の籾や糠を選別しています。タイ、ラオス、カンボジアなどでも、同じ形のものを、同じ方法で使っています。




これはミレーの絵ですが、一辺が平らな箕を使いながら、打ち上げる方法をとっています。




私の祖母も、ちりとり形の手箕を高く掲げて、軽く揺すって落としながら、ゴミを風で飛ばしていました。でも、私には、全然うまくできません。
というわけで、足踏み脱穀機で脱穀したお米からゴミを取り除くのに、カンボジアやフィリピンの丸い手箕を使っています。




カンボジアの手箕は、卵型をしていて、真ん中に、竹の節の突起が、波型になるように編んであります。
「この突起がたいせつなんだ」と、彼らは言いますが、いまだにどう大切なのか実感できないでいるのですから、使いこなすには、ほど遠いのでしょう。




カンボジアではとても一般的な手箕ですが、村の籠師さんに編んでいただくものと、市場で売っているものでは、まったくできが違います。
市場に出回っているものは、太いひごで、時間とお金を天秤にかけながらつくられた、顔も知らない人の手に渡る商品ですが、村でつくられたものは、知っている人々が、たいせつに使う道具だからです。




二枚目の写真と同じ、フィリピンの北ルソンの手箕です。
竹ではなく、ラタンでできています。バギオの骨董屋で買ったものですが、いつもかまどの上に、別の籠と重ねて置いてあったのでしょう。真ん中のところだけ、あまりいぶされないで残っています。
フィリピンの村にも、カンボジアの村同様、籠師さんがいました。農民ですが、頼まれると、籠もつくるのです。
これも、なかなか使い勝手のいい手箕です。




こちらは、近所の骨董市で見つけた、日本の手箕です。木の皮と鈴竹でつくってあるのでしょうか?




裏を見ると、昭和30年に購入、1000円だったと記載してあります。
戦後10年に、1000円は大金だったのではないでしょうか?正確ではないかもしれませんが、ラーメンを当時20円として、今の物価は約30倍です。そして、この手箕を今のお金に換算すると、3万円ということになります。

同じようなつくりの、新しい手箕が、9000円ほどで売られているのを見たことがあります。中国製の安い籠に混じって置かれていると、それでも「高い!」と感じましたが、当時の高さは、いかばかりだったでしょう。




カンボジアの最北端、ラッタナキリの市場で見つけた手箕です。
縁がいきなり立ち上がらず、徐々に高くなっている、つまり全体に厚みがあるのですが、手箕でしょう。




あまりにも美しくできているので、使うこともせず、ただ飾ってあります。




バングラデシュの手箕です。
以前、泊めていただいたNGOで、上から落とす方法で使っていた、薄い手箕です。ただ、自然の風を利用せず、扇風機を持ち出して使っていたところが今風でした。
この手箕を見て、例によって、「どこへ行けば手に入りますか」と聞いたのですが、「新しいストックがあるから」と、いただいてしまったものです。

バングラデシュのこのあたりの農家では、細いラタンを栽培している畑をたくさん見かけましたが、これは、縁を針金で留めています。



2010年11月25日木曜日

我が家の健康器具




30年前、タイに行ったとき、当時出回っていた、電動の肩揉み器を持っていました。棒の先に、円盤がついたような、比較的シンプルな形のものでした。
重宝していましたが、デンマーク人の友人が、それを使ってみて、
「気持ちいいけれど、こんな形のものが家にあるというのは、いやだな」
と言ったのは、ショックでした。

それまで、必需品は、少々形が気に入らなくても我慢できるほどのものは、目につかないところにおけばいいやと思っていました。
でも、それ以後、なにか買おうとするたびに彼の言葉を思い出し、気に入った形のものが見つからないフードプロセッサーやコーヒーメーカーとは、いまでも無縁の生活を送っています。




肩叩きはアフリカのもので、一本の木からできています。
もともとは、太鼓の撥だったのでしょうか?
硬い木でできていて、撥にしては重すぎるような気もしますが、肩叩きとしては、重宝しています。




インドの足の裏揉み器です。
デスクの下に置いておいて、足を乗せ、ときおり(常時)、ごろごろとやっています。体重のかけ具合によりますが、ただごろごろしているには、刺激が少なすぎるほどです。痛そうに見えますが。




ドイツのマッサージ器です。器自体に重さがないので、自分で使っていると、気持ちがいいほどではありません。
たぶん、誰かにやってもらうといいのでしょうけれど、そうもいきません。




インドの、指揉み器と、携帯用ツボ押し器です。
携帯用ツボ押し器は、使いこなせばいろいろできそうですが、尖った方と、丸い方でツボを押すくらいしか、使っていません。




指揉みは、痛そうですが、慣れると気持ちいいものです。




そして、シンギングボウル(ヒーリングボウル)です。
縁を木の棒で擦ると、音が出て、ボウルに共鳴して響きます。
一日に一度くらいは、静かにボウルを撫でる時間をとればいいのですが、なかなか.....。



2010年11月24日水曜日

天才バカボンのお弁当箱





下の息子がくれた、天才バカボンのお弁当箱です。
私が、バカボンの招き猫をさがしていたころ、一緒に秋葉原を探してくれたのですが見つからず、代わりにと、見つけてきてくれたものです。




可愛い、文句のつけようのないお弁当箱ではありますが、いったいどうしたのでしょう?主役のバカボンがいません。

いるのは、バカボンのパパと、ホンカンと、レレレのおじさんと、ウナギイヌです。どうしてウナギイヌまでいるのに、バカボンがいないのでしょう?




お弁当箱を包むナプキンもついています。
バカボンはいったいどこへ行ったのでしょうか?

貝の首飾り



2010年11月23日火曜日

陶器の家




我が家の玄関に飾っている、陶器の家たちです。




しがみさこさんの家です。
スペインで暮らしたこともある、しがさんらしい家です。




三苫修さんの家は、硬い石の固まりに見えます。




蓋を取ると、陶箱に。
三苫さんのつくるお皿も好きですが、繊細な陶箱の可愛らしさは、また格別です。




古い友人の、川崎毅さんの家です。




ずいぶん古いものですが、川崎さんのずっと続いているテーマである、階段や椅子が見えます。

いまでは、彼はこの数倍も大きい、街並みの中に、階段や小道が続いているような、作品をつくっています。
その街は、まるでベツレヘムの旧市街のようで、懐かしく、その道をたどってみたいような、不思議な雰囲気を漂わせています。




これも川崎さんの陶箱、中にはきれいな石を入れています。

柔らかい石



2010年11月22日月曜日

中国のお菓子の型




プノンペンに住んでいたときに、私はアパートの三階に住み」、四階にはフランス人の骨董商が住んでいました。彼は王宮の近くに小さなお店を持っていたので、ときおりのぞきに行くことがありました。
その骨董屋さんで見つけた、お菓子の型です。

カンボジアに住み着いた、中国人が使っていたものと思われます。
カンボジアには、以外に色濃く中国の文化が入り込んでいます。旧正月を祝うこと、中秋の名月を愛でること、獅子舞が見られること、苗字を漢字で表記すれば、一文字であること、あちこちに、「土地神」と漢字の刻まれた石碑が立てられていることなどなど、あげていけばきりがないほどです。

お菓子の型は、月餅、あるいは落雁のようなものに使ったのでしょうか。それとも、練り物だったかもしれません。
一つには「薛」の字が、もう一つには「源合」の字が見えます。薛はつる草(唐草)模様で、源合は、牡丹と蝶の模様です。




裏返すと、しっかりつかめる持ち手が彫ってあります。ここを持って、ぎゅっと押して、模様をつけたのでしょう。
直径は15センチほど、どんなお菓子がつくられていたのでしょうか。

鍋敷きにするつもりで買いましたが、煮立った土鍋などを乗せると焦げてしまうので、それではかわいそうと、ただ飾っています。


2010年11月21日日曜日

籠の編み方比べ




脱いだ衣類を入れたり、洗濯物を入れたり、お米を入れたりと、毎日のようにつかっている籠たち。国によって、あるいは地域によって、編み方はいろいろですが、底から脇へと、籠の形づくり方には、はっきりした地域性が見られる籠もあります。

大きさや形がよく似た籠の、底やつくり方を、ちょっと比べてみました。




日本の籠の底です。
四角く編みはじめて、立ち上がる前には、もうすっかり丸くなっています。
左の籠には、補強用の竹が入っていませんが、もっとも擦れるあたりのひごは、皮つきの方を外にして、磨耗をできるだけ防ぐ手立てがなされています。




右は、「肥料籠」と呼ばれているものです。堆肥などを入れて、抱えて、畑でパッパッと撒くものでしょうか。
左は古いもので、どんな用途に使われていたものかわかりませんが、よく似ているので、やはり肥料籠だったのかもしれません。




カンボジアの籠の底です。
四角く編んだものを、ぎゅうっと絞るのでしょうか。網代に編んだ目が四角の角、角で、ぎゅっと詰まって、変形しています。
四角く編んだ編み目がはっきり見えるのに、角はせりあがっていって、形は途中で丸くなっています。

底としては、補強材もなく、無防備にも見えますが、もちろん長年使っているあいだに磨耗しますが、意外と丈夫で長持ちするのが、カンボジアの籠の特徴です。




縁は左のようにラタンを巻いたものと、補強のために竹の板を回したものがありますが、竹の板を回したものの方が長持ちします。

もっとも、カンボジアの農家では、ラタンや竹が擦り切れないように、そして籠の目が詰まるようにと、大切な籠ほど、右の籠のように、樹液を厚く塗って使います。




日本の籠やカンボジアの籠が、底から立ち上がるときには、すでに丸くなっているのに比べて、タイの籠の底は四角です。

中には、底が丸い籠もありますが、そんな籠は、底に丸いものを嵌めるという感じで、立ち上がりの部分とまったく縁が切れてしまっているのが、タイの籠の特徴です。






擦り切れやすい角は、太いラタンを当てて、補強しています。
一番小さい籠には、短い足がついています。




四角で立ち上がって、自然に丸くなったら、あとは膨らませたり、また絞ったり、自由自在です。




2010年11月20日土曜日

鯨のおもちゃ



自分が、テレビで大相撲中継を見るなんて、以前は考えてもいませんでしたが、この数年、楽しみに見るようになりました。

たいていは何かやりながら、ちらちらながめるだけですが、土俵入りの時間に見ているようなことがあると、思わず画面に見入ってしまいます。土俵の前での力士のお辞儀のしかた、化粧廻しのデザインなど、興味津々です。

しかし化粧回しは、期待に反して、たいていは野暮ったい、つまらないデザインのものばかりです。中でも出身校の校章の化粧回しが、一番嫌いです。なんの、美しいところもありません。

そんな中で、土佐出身の力士の化粧回しは、海よし、鯨よし、船よしで、誰かしら素敵なのをつけています。
今開かれている九州場所でも、豊の島がかわいい鯨の化粧回しをつけていました。




鯨と言えば、なんといっても土佐でしょう。

その高知の、張子の鯨車です。
二つ持っていますが、顔が違うのは、たぶん制作年代の違いで、右の方が古いものだと思います。
よく見ると、左の鯨は、けっこうめちゃめちゃな顔をしています。
正面から見ると、目の位置が、なんだかおかしいところにありますし、




横から見ても、尾っぽの厚み、車と鯨のバランスなど、右の方がよくできているように見えます。




木の鯨車もあります。
こちらは、おっとりと、おとなしそうな鯨です。




鯨の土鈴も、やはり高知のものです。
右と真ん中の二つは、母の伯母が亡くなったとき、いただきました。大伯母は、旅行が好きで、いろいろな土鈴を集めていました。
そして左は、私の持っていた土鈴です。

なんでも古いものがいいとはいいませんが、ひれを見ると、大伯母の鯨の方がよくできています。




それにしても、こんなにデフォルメされているのに、勇壮な鯨に見えるところが、おもしろいところです。




これは長崎のお祭り、おくんちの山車を模した潮吹き鯨の郷土玩具です。
鼻(?)が特徴ですが、なんとも言えずユーモラスです。




度重なる引越しで、身体がぼろぼろになり、勢いよく吹いていた潮も、なくなってしまいました。
まあ、潮くらい、竹を細く細く削るなどして、つくってあげればいいのですけれど。