2010年4月30日金曜日

こいのぼり



今年はこいのぼりが、いつもの年より少ない気がします。昨年、高々と揚げていた家でも、今年は揚げていません。もしかして、男の子が生まれた年だけ、揚げているのでしょうか。





それでも、気持ちよさそうに泳いでいるこいのぼりを見るのは、楽しいことです。




そして、私がとりわけ好きなのは、てっぺんにつける、竹で編んだ飾りです。この飾りをつけている家を訪ねて、どこでつくってもらえるのか聞きたいと、いつも5月には思うのですが、こいのぼりの季節が過ぎると忘れてしまいます。
風雨に晒されると竹はもろく、しかし、棹を立てたらたぶん取り外しもきかず、竹の玉はすぐに朽ちてしまう運命にあるようです。



2010年4月29日木曜日

ぱたぱた鳥と、ぴんぴん鯛



割った竹を、糸やテグスでしならせます。糸には、土でつくった鳥や鯛に穴を開けて通しておきますが、そのとき、穴をまん丸ではなくて、心持ち縦方向に楕円に開けておくのがこつです。
鳥や鯛を糸のてっぺんまで持って行き、ちょっとお尻を上げるようにして手を離すと、鳥は羽ばたきながら飛び、鯛はぴんぴん跳ねます。




鳥はタイのカセサート大学(農業大学)の収穫祭で見つけたものです。1990年ごろでしょうか。
1992年に発行された、『古い郷土玩具事典』には、ノック・ビン(飛ぶ鳥)は粘土を焼いてつくり、羽はパルメラヤシの葉か、ココヤシの葉を使うとあります。鳥はセキレイ、カモメ、スズメ、ハトがつくられると書いてあるのですが、私の持っている鳥は、まるでツバメのようです。
これも、どこか決まったところへいけば売っているというものではなく、行商のおじさんが持って歩いているだけなので、滅多にお目にかかれるものではありません。

鯛は、大阪市の堺港のピンピン鯛です。毎年、7月31日に、大浜海岸に全国から漁船が集まって、かがり火をたく中で、盛大な夜市が立ったそうです。そのとき、大漁を願う縁起物として売られたらしいのですが、今でも夜市は立っているのでしょうか?

二つはあまりにもそっくりです。堺は古くから貿易港としても栄えていましたから、誰かがタイ、あるいは中国あたりからおもちゃを持って帰り、伝えたのでしょうか。
鳥が羽ばたくことを発想する方が自然だと思われますが、堺で大漁を願って、活きのいい鯛がぴんぴん跳ねるものに代えたとしたら、それはそれで、なんとおもしろいことでしょう。




鳥は、とても良くできています。テグスが細いので、こまかくゆれながら降りていきます。『古い郷土玩具事典』に寄れば、昔の子どもたちは、鳥が長く飛び続けることを競ったそうです。

これを見つけたときは、もう心がわくわく、有頂天になりました。一緒に行ったタイ人の友人たちが、たいせつに鳥を抱えている私を、「またか」といった目で見ていたのを思い出します。




鯛もよくできています。穴が大きいので、大きく動きながら降りてきます。たぶん、学生時代に大阪で買ったものでしょう。似たようなおもちゃの「はじき猿」がほとんど壊れて残っていないのに、鯛はよく残っていました。

2010年4月28日水曜日

敷物の端



よく降る雨、今日も降っています。
どこを見ても、緑、みどりになりましたが、山桜は、まだ散らずに残っています。4月も終わりそうだというのに。苗代の苗は、まだ発芽していません。気温も、日照時間も足りないのですが、なんとか育つでしょうか?

雨で、大工仕事はお休みです。
そこで、敷物の修理をしました。アフガニスタンの敷物で、我が家に来てからも、すでに30年は経っているという、古いものです。しかし、酷使にも耐え、全然傷んでいません。ただ、私が端を覆った久留米絣だけが擦り切れています。




もともと、敷物の経糸(たていと)の始末は、わりとあっさりしています。別に、端で見せているわけではないので、見苦しくない程度にまとめてあります。

でも私は、敷いたときに、端の房がどうも気になってしまいます。そこで、糸が見えないように、いつもきれいに包んでしまうのです。今回、このアフガニスタンの敷物の端の始末は、3度目です。




今までは、久留米絣で包んでいましたが、今回は気張って芭蕉布で包みました。

2010年4月27日火曜日

展示室の棚からあふれたもの





展示室の棚に入りきらなかったものも、ずいぶんありました。そんなものは、トレイに並べて、扉のついた収納の甲板の上に、とりあえず乗せました。

本当は、どこの国のものであれ、お菓子の型はお菓子の型、オイルポットはオイルポットでまとめたいのですが、あまりにも形が違っていたりすると、なかなかまとめて飾ることもできません。
右の方に二つ見える、丸い鍋敷きのようなものは、中国のお菓子の型です。




ミシンの足に甲板を乗せた、テーブルです。
生きていれば120歳くらいになる私の祖母が、初任給を頭金にして買ったミシンでしたが、地下室に数年置いておいたところ、湿気で木部がだめになりました。「捨てるしかないか」と、悲しい気持ちになったのですが、せめて足だけでも生かそうと、ケヤキの板を乗せてつくったものです。
木の実や、貝殻を並べています。




小さなままごと道具は、階段の踊り場に棚をつくりました。
棚の下は、外壁からつながっているコンクリート壁の外に近い方だけに、断熱材を入れてカバーしたものです。




左右にあるので、左右とも棚を取りつけました。
小さい棚は、いくつあっても便利です。

2010年4月26日月曜日

展示室



二階の大展示室(といっても、小展示室より、ちょっと大きいというだけ)は、棚下の収納扉はまだできていませんが、そのほかは、ほぼできあがりました。
いろいろな形のものがあるので、展示するものと相談しながら、無駄なく納まる棚つくりを心がけたのです が、招き猫を飾ってある小展示室に比べると余裕がなく、必要なスペースをどう確保するか、四苦八苦しました。

階段を上って、展示室をのぞくと、こんな感じです。右に見えているのが、北側の棚です。




北側の手前の棚。
牛やラクダの首にかけるベルは、置く場所がなくなってしまったので、しかたなく、梁からぶら下げてみました。ちょっとうっとうしいのですが。




北側の奥の棚。
鳥の桝が五つくらい、あとは鯨や船の人形、小さな籠、インドの人形などのほかに、仮面ライダー、ウルトラマン、怪獣、ピカチュー、ペコちゃん、ミニカー、消しゴムなどもあります。




西側の棚には、土人形や張子を飾りました。学生時代に集めたもののほかに、中国の土人形、ビルマやタイの張子などがあります。
上の壁には形が大きくて棚に入りきらないものをぶら下げました。織物の筬、竹製のスズメ追いやネズミ捕り、牛のくつわ(口カバー)、うちわなどなどです。




南側の棚。




そして、東側の棚、入り口は、突き当たりのフランスやペルーの土人形の棚の右、裏側に絵を飾った棚の向こうにあります。

今日から、扉づくりにとりかかっています。

2010年4月25日日曜日

サギゴケ




土曜日に5人のお客さんをしました。神奈川県からの方々です。
昼食後、彼らを連れて八郷めぐりに行った夫から、電話がありました。
「Sさんの家にも寄ったんだ。Sさん夫妻を夕食に誘っていいかな?」。
すでに誘っているのに、わりと控えめ風の物言い、もちろん承諾しました。すると、すぐに、S夫人からも電話がありました。
「お誘いを受けまして。お言葉に甘えて、Mさん、Oさんもご一緒します」。
おいおい、それは聞いてないぞ。夫は、いっぺんに私を刺激しないよう、MさんとOさんのことは、事後承諾にしようとしたに違いありません。そういうやつなのです。
S夫人から、電話をいただいたおかげで、「えっ、食事が足りない」。なんてことにならずにすみました。やれやれ。

その夜、4人は泊まって、翌日曜日には新たなお客さんが8人やってきました。
お天気もよく、庭でバーベキューをやっていただいたので、手間要らず、私はビールを飲んで、焼きたての肉や野菜を食べてばかりでした。




お客さんの一人からいただいた、「さくら」という名前の干菓子です。食べるのがもったいないほどの美しさですが、いただいちゃいました。美味でした。鎌倉の、あの鳩サブレーの、豊島屋のお菓子です。




先日、Yさんからいただいた、苗箱いっぱいの、白と紫のサギゴケ、この数日ばたばた忙しくしていましたが、なんとか植えつけました。ご指示どおり、ぽつんぽつんと離して植えました。
再来年あたりには、庭一面がサギゴケに覆われるでしょうか。楽しみです。

2010年4月21日水曜日

腰籠



腰籠は、野菜の収穫、野草摘みなどに、なくてはならないものです。大小、いろいろ使っています。

これは、水俣の井上克彦さんにつくっていただいたものです。大きくて、丈夫で、頼もしい腰籠です。井上さんは、国際協力などに携わっていらっしゃった方ですが、第三世界を歩かれるうちに、もっと地に足をつけた仕事をと考えるようになり、お師匠さんを見つけて弟子入りして竹籠つくりを学び、籠師になられた方です。
今でも、近所のお年寄りの依頼をもっとも優先なさっている、素敵な籠師さんです。




これは、一戸の、鳥越もみじ交遊舎の腰籠です。鈴竹で編んだものですが、軽くて、使いやすく、山菜摘みには欠かせません。




この二つは、かるいを編んでくださった、日之影の小川鉄平さんに編んでいただいたものです。廣島一夫さんのご本の中にある腰籠の形で、一回り小さくつくっていただきました。
使えばいいのですが、もったいなくて飾っています。左の籠に開いている穴はなんでしょう?小川さんにも聞いたのですが、彼も知りませんでした。




これは、夫の両親が使っていたものです。銀座の「たくみ」で買ったものでしょうか。小さいので、木いちご摘みなどに使います。




これは骨董市で買ったものです。裏には、昭和41年(1966年)購入との墨書きがあります。しばらくレジ袋入れとして使っていましたが、最近では飾り物に昇格(降格?)しています。

2010年4月20日火曜日

北欧の白樺細工



その昔、仕事で北欧に行った夫が買ってきてくれたお土産は、白樺の皮でつくった、小さな丸い箱でした。夫はあまり「もの」に関心がありませんが、いつからかお土産の見立てがうまくなって、いつも、私の大好きなものばかり買ってきてくれるようになりました。

木の板でできている蓋は、ぴったりしまります。取っ手は蓋についているのですから、取っ手を持ったとたん、箱だけが落ちてしまいそうですが、おみごと、中に石などの重いものを入れていても、落ちたりしないのです。




そんなにぴたっと閉まるのに、きつ過ぎて開かないということはありません。楽々開きます。
縁の皮をそのまま中に折り込んでいるので、中はちょっとしわしわと、余り気味です。石を入れたり、貝を入れたり、ずいぶん長い間使っています。

北欧と言っても、いったいどこの国のものでしょうか。スウェーデンかフィンランドのものだと思うのですが、夫は自分が買ったことすら忘れているでしょうから、確かめようはありません。




これは、白樺の木の箱です。箱部分は曲げ木になっています。スウェーデンのものですが、デンマーク人の友人が我が家に来たとき、小さい頃、職人さんたちがこれにお弁当を入れていたと、懐かしがっていましたので、デンマークにもあったようです。




片方の突起を外に反らせて止め木をはずし、はずれた方向に引いて開けます。




板を削ぐのも、曲げるのも、簡単な道具でつくったのでしょうけれど、しっかりとできています。




これはちょっと大きな箱です。箱に巻いた白樺を綴じているのは、やはり白樺の皮ですが、縁を止めている素材は、どうもラタンのようです。まあ、ラタンほど可塑性に飛んで、いろいろなことができる素材は少ないのですが、できるなら、白樺で綴じて欲しかった、なんて、つくらない人は勝手なことが言えます。




中の、白樺の皮の綴じ方は、1枚目の写真と同じ綴じ方です。
私が気に入っているのは、取っ手のつけ方です。穴を開け、白樺の皮を重ねて通し、端で折り曲げて厚みを出し、それを穴に引っ張り込んで、抜けないようにつくられています。簡単ですが、みごとな方法です。




そして、このちび箱もかわいい。これも、ぴったりしまり、取っ手の皮を持ってぶら下げても、蓋が取れるようなことはありません。

夫のお土産以外はネットで探しました。お弁当箱とちび箱は古いものです。

2010年4月19日月曜日

田んぼの花



我が家の庭で、苗箱でつくっている苗代は、季節はずれの雪に降られたり、放れ犬に踏まれたり、鳥除けの網をかいくぐって入ったスズメについばまれたりと、今年は散々な目にあっています。
なんとか芽を出して、丈夫に育って欲しいものです。

田んぼも、やっと賑やかになってきました。
自慢はレンゲです。除草剤を使っている田んぼには絶対に生えないレンゲが、我が家の田んぼでは、あちこちに生えています。除草剤と化学肥料を使う田んぼに、今ごろ生えるのは、スズメノテッポウだけです。




畦にもいろいろな草が花を咲かせています。オオイヌノフグリ、ジシバリ、ホトケノザ、ヘビイチゴ、



カキドオシ、




キンポウゲ、




ムラサキケマン、などなど。

不精して畦の草を刈らないでいるのと、いつも短く刈っているのと、違う草が生えるのも、おもしろいところです。おもしろがってばかりもいられません。草刈りに追いまくられる日々の到来も、間近に迫っています。

2010年4月18日日曜日



八郷では、たくさんの農家が、家を美しく保つことに、精力とお金を使っています。
大きな母屋と納屋、そして隠居(棟)や蔵、門などが、中庭を囲うように建っている家が、たくさんあるのです。美しく刈り込まれた生垣も見事ですが、漆喰壁に瓦を乗せた、築地塀も風情があります。
どんな大金持ちが住んでいるのかと思われるたたずまい、使用人が10人くらいいてもおかしくないほどの大きさ、りっぱさなのに、おじいちゃんとおばあちゃんが二人だけで暮らしていて、納屋の軒下で、せっせとネギの株分けをしたりしています。

中には、たいせつな田んぼを担保に、お金を借りてまで、四足門を造ったり、ブロック塀を築地塀になおしたりする人もいるそうです。
四足門というのは、太い4本柱に、大きな屋根を乗せた門のことで、威風堂々としています。このあたりの門は、伝統的に、屋根と柱はあっても扉がありませんから、建てても防犯上の意味はありません。精神的な結界以外、なんの機能もない門ですが、四足門は、長屋門より数段格上と考えられています。

私と夫が好きなのは、蔵と呼ばれる、比較的小さな建物です。家と家が離れていて、あまり火事の心配がなかったのか、蔵は木造で、壁は漆喰や板でつくられています。形は切妻で、一方にだけ、下屋(げや)と呼ばれる片流れの屋根がついています。下屋の屋根は、長く伸ばして下で作業できるよう、少し勾配が本屋根よりゆるくなっています。
そのプロポーションの美しいこと。中でも、私たちがもっとも気に入っているのは、恵比寿大黒の鏝絵がある蔵です。




この家では、数年前に屋根瓦を葺き替え、壁を塗りなおしましたが、鏝絵のところは、昔のままに残してあります。




蔵の棟木は、切妻の両側に、壁を突き抜けて、出ています。あまり雨に濡れない位置なので、そのまま木口を見せているものが多いのですが、木口に漆喰を塗り、屋号などの模様をつけたものもあります。




これは、般若の鏝絵をほどこした棟木です。
般若は、妙にリアルな顔をしていて、見るたびに、「どうしてこんな飾りをつけているの。どうして?」と、つぶやかずにはいられません。
この数年、大きく育った生垣で般若が見えなかったのですが、久し振りにこの家の前を通ったら、生垣が切られて、また般若が、恐ろしい顔を見せていました。

2010年4月16日金曜日

庭の動物たち



家のまわりの山桜が散りはじめました。花びらが舞って、風に吹かれて、そこいらじゅうに着地しています。庭も、つくばいも、ほんの数日、花びらでいっぱいになります。




つくばいの縁に腰掛けているのは、しがみさこさんのうさぎです。




そして、一枚目の写真の奥の方に、小さく写っているのは、トナカイです。

昨年の益子の陶器市で、いつも何も欲しがらない夫が、珍しく、トナカイを購入しました。しかも、先日用事でしがさんの家に行く私に、「もう二つくらい買ってきて」と、頼むのです。

「座っているトナカイある?」、「うさぎならあるけど」、「見せて」、「ほら、これ」、「えっ、これ?うさぎ?」、「そう。うさぎなんだけど」、「....」。

こうして、うさぎが我が家にやってきたのでした。



もう一匹のうさぎは、土留めの壁の上に腰掛けています。
夫が、「ちょっと、わきの下が空きすぎてないかぁ~」と言うので、「そんなこと言うんだったら、うさぎが服着てるかぁ~。耳がこんなになっているかぁ~」、と言い返したのですが、先日から、うさぎは、腕にボルトを抱えさせられています。

2010年4月15日木曜日

おもちゃの蛇



かえるが鳴きはじめました。かえるが出てきたとなると、そろそろ蛇も冬眠から目覚めることでしょう。このあたりでよく見かけるのは、青大将、シマヘビ、ヤマカカシなどです。沢沿いにいるマムシはもちろん、どんな蛇にも、あまり会いたくはありません。

本当の蛇はちょっと苦手ですが、おもちゃの蛇は、怖くありません。右はタイのもの、左はフィリピンのものです。
ところが、これまで、これは蛇のおもちゃと思い込んでいましたが、最近タイの、『Encyclopedia of Old Folk Toys』という本の中に、おのおもちゃがノン・ドゥーン、つまり歩くいも虫として紹介されているのを見つけました。

だから、原理はまったく同じですが、フィリピンのものは蛇で、タイのものは芋虫かもしれません。もっとも、フィリピンのものも、実は芋虫かもしれませんが。




遊ぶときは、折りたたんであるしっぽを引っ張って、伸ばします。
フィリピンのものは、頭の上についているストローの切れ端を、タイのものは竹ひごを、上方向にひっぱって、吊り上げるようにします。細い糸が伸びてきますので、適当なところでその糸を緩めると、蛇が前に進みます。




裏返してみると、糸は、重石も兼ねている、土でできた滑車に巻かれています。その滑車には小さな穴が2つ開いていて、その穴にゴムを通して輪にし、左右の針金や板金でできたフックに掛けてあります。糸を引っ張るに連れて滑車が回り、ゴムに撚りがかかるので、それを床の上に置くと、もとに戻ろうとする力で、蛇がするすると前の方に進むというわけです。

どちらも露天商というか、江戸時代のぼて売り、つまり歩きながら売る人から買いました。彼らの自作だろうと思います。




こちらは、日本の蛇です。たぶん、干支の年くらいしか、売れないものでしょう。わらしべで形づくっていて、なかなかかわいい蛇です。




でも、おもちゃとして遊ぶなら、断然フィリピンの蛇の方が勝ります。こんな格好もできるし、




とぐろを巻くことだってできます。竹と、針金だけでできています。




口の中には、ちゃんと舌までついています。