2010年9月16日木曜日

入院生活





半月の入院生活を送り、退院しました。

アキレス腱切断の私は、病院ではもっとも症状の軽い患者の一人で、手術日以外は痛みもなくて、思いも寄らなかった静養の日々を過ごすことができました。
しかし、家のこと、とりわけ、状況を説明してもわかってはもらえない犬猫のことが気になっていたので、また我が家で生活できることになって、ほっとしました。




病室は四階(通称五階)にあったので、遠くまで見渡せました。山に囲まれた盆地にある我が家と違って、病院の南は海まで開け、東もずっと平らでしたから、地平線も見えました。
9月初めのころはまだ真夏日が続き、朝焼けが真っ赤でしたが、次第に雲が多くなり、退院するころには、なんとなく秋の気配がただよってきました。




病院では、本を読むことくらいしかすることがないので、入院することになって慌てて用意したのが、ミシェル・ペイヴァー著の『千古の闇』全6巻です。今から6000年前の話です。
イギリスの児童書ですから、自然描写が詳細で、楽しめたのですが、ちょっと物足りない部分もありました。どこが物足りないか、あまりはっきりしないのですが、自然と人間の関係ほどには、人間と人間の関係が深く描かれていなかったからでしょうか。

4 巻目の『追放されしもの』の原題は『Outcast』ですが、やはりイギリスの作家ローズマリー・サトクリフに、同名の本(和名は『ケルトとローマの息 子』)があります。同じ名前なので、ついつい比べてしまいました。
『ケルトとローマの息子』の方は、育った社会から追放され、だまされて奴隷に売られ、ついにはガ レー船のこぎ手にされた主人公が自由になれたとき、どうやって生きる気持ちを取り戻すか、とても読み応えのある内容でした。『追放されしもの』もおもしろかったのですが、3度、4度と読み返したくなるほどではなかったような気がしました。

また、表紙や挿絵が日本の画家の描いたところもちょっと気に入りませんでした。日本受けを目的に、日本で絵をつけることがありますが、どんなにうまく描かれていても、やっぱりイメージが壊れてしまうと感じるのは私だけでしょうか。日本人の描いた絵は、時代・地域考証がどうしても不十分で、全体にこぎれいで可愛すぎる感じがします。
ネットで原書のペーパーバックの表紙を見てみましたが、ずっと、ずーっと素敵でした。




表紙と裏表紙の見開きには、物語となった舞台の地図が載っているのですが、これは原書にもある地図のようでした。




せめて、原書から取ったらしい、カバー折込部分のこちらの絵がメインだったら、イメージを膨らませるのに役立って、ずっと物語を楽しめたのではないかと思いました。
と文句をつけながらも、楽しみました。なにせ、普段は夜だけ、しかも眠ろうと横になってからしか本を読むことはありませんので。




宮部みゆき著の『小暮写眞館』も用意した本です。最近、宮部みゆきは全然読まなくなっていましたが、評判になっていたので、読んでみました。
これも、主人公が魅力的で楽しめました。




見舞いに来てくれたMさん差し入れの、ますむらひろし著の『アタゴオル物語』と、Fさん差し入れの澤地久恵著の『琉球布紀行』です。

息子が漫画好きで、たくさんの漫画に親しんできましたが、なぜかこれまで、『アタゴオル物語』には無縁でした。でもヒデヨシのナンセンスぶりと風景の妙な懐かしさに、子ども時代に読んだら(年代的に無理ですが)、きっとアタゴオルに住み、ヒデヨシの家に暮らしたいと思ったことだろうなと思いました。

琉球の布のほとんどは、歴史的に、税として本土に持って行かれて、島では着ることを禁じられていました。その意味では、織物や染物のなかでも、琉球の人々が着ることができた芭蕉布に、私はもっとも親近感を持ちます。でも、その芭蕉布も、今は一反が安いものでも数百万円、数千万円もするものですから、庶民が手にできるものではありません。
そこのところが、『琉球布紀行』を読んでいて、ときどき素直に感情移入できないところでありました。もっとも、どの織物や染物も、ひたむきな努力を積み重ねた人々の思いのなかで、途絶えた技術を再生させたり、恐ろしいほどの長い、地味な工程を経て、やっとできあがるというものではありますが。




「もらったものだから」と、息子が差し入れてくれた宮部みゆき著の『あんじゅう』と、パウロ・コエーリョ著の『アルケミスト』も読みました。どちらもおもしろかったです。

もっとも、『アルケミスト』のなかに、「本は、登場人物の名前がごちゃごちゃしていて読むのがめんどくさい」というような一節がありますが、息子によりますと、この本には、「少年」とか、「錬金術師」と書いてあるだけで名前が出てこないところがつまらない部分だと言っておりました。彼は、名前も本の楽しみの一つだと言います。




病院の本棚にあった、司馬遼太郎著の『坂の上の雲』は、入院しなかったら、一生手に取ることはなかった本です。入院の思わぬ副産物でした。




最後は、息子の愛読書の、G・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』です。

15年以上前に、勧められて読みはじめましたが、半分ほどで挫折していました。
このさい、時間が十分あるから読めるかと、たまたま家にあったので持って行きましたが、やっぱり手間取りました。読み進めるにはしばしば気分転換が必要で、病院にあった、シドニィ・シェルダン著の『明け方の夢』2巻を読み終わったころに、やっと十分の一ほど読むことができたほどでした。

しかし、いよいよ読むものもなくなり、しかたなく(?)読んでいると、じょじょに調子が出てきて、これも病院にあった宮部みゆき著の『初ものがたり』一冊だけを息抜きにしましたが、だんだん息抜きが必要なくなり、おもしろくなって、とうとう全部読むことができました。




息子が楽しむという、登場人物たちの名前が満載で、子どもに親の名前をつけるので、「アウレリャーノ」という名前の人物だけでも、20人ほど登場します。しかも、みんな長ったらしいフルネームで出てきますから間違えないように、それだけでも息が抜けません。
また、登場人物はみんな、信じられないような変人ぞろいですが、そこにはたくさんの神話が隠されているようでした。なかなかわかりませんが。




ともあれ、こうして無事、退院することができました。
夕日の沈む方向は、我が家の方向です。地平線もいいけれど、見慣れた山々はやはりほっとする存在でした。


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