2010年7月31日土曜日

セルロイドの仲間たち



雨が降って、二日ほどしのぎ易い日が続きましたが、また暑さが戻ってきました。
昼食後など、じりじり照りつける陽の下に飛び出していくのを、ついつい、一分延ばしにしてしまいます。

せめて目から涼しさをと、涼感を演出する人形は、セルロイドです。セットになっていて、水を張った容器に鯉、金魚とおしどりを浮かべて、その容器の縁に、猫を登らせて遊ぶものです。
我が家では、水を張らずに、ガラスのお皿に乗せて飾っています。ガラスのお皿は、1900年ごろの、イギリスのプレスガラスです。





いつも外から狙っているだけではつまらないだろうからと、猫も一緒に記念撮影です。
それにしても、おしどりだけ、ちょっと小さすぎます。金魚よりも小さいなんて...。
いつか、もう少し大きい、セルロイドのおしどりを見つけてあげることができるでしょうか?


2010年7月30日金曜日

木彫りの鳥



タイに住んでいたころ、毎月一回、インターナショナル・スクールの体育館で、山岳地帯に住んでいる少数民族の人々のつくった手工芸品の展示即売会がありました。値段が安く、新旧取り混ぜて、品質のよいものが出展されるので、毎回、開場の前から長い行列のできる盛況ぶりでした。

私も、この展示即売会を楽しみにしていて、ラタンの大きな葛篭や、刺繍布など、いろいろなものを手に入れました。これは、そのとき求めた、木彫りの鳥です。
鳥の姿を忠実に模したもので、今、タイの鳥の図鑑を持っていないので、特定できませんが、どれも実在の鳥です。右の鳥は羽の色が白と黒で、毎日のように我が家の庭先に来て、よい声で鳴いたり、しっぽを上げ下げしていたものでした。




冠を頂いたような鳥も、ありふれた鳥で、よく見かけました。




この鳩もタイの木彫りで、蓋物になっています。




蓋を取るとこんな感じ、一時、いろいろな動物の蓋物がつくられていましたが、いまはどうでしょうか。




こちらの小さい鳥は、何の変哲もありませんが、




底に隠し場所がありました。小さくてなんの役にも立ちませんが、遊び心で楽しませてくれます。




メキシコの鳥です。タイの鳥よりずっと抽象的です。柔らかい木に、きれいに彩色されていましたが、すっかり褪せてしまいました。




こちらはケニアの鳥です。足は、針金に糸を巻きつけてあります。模様は全部焼き鏝をあてて、焼いたものです。シンプルだけど造形的で、見飽きません。卵も愉快です。

2010年7月29日木曜日

ジャワ島のヤシ砂糖



バティクのS先生から、ジャワ土産にヤシ砂糖をいただきました。
タイやカンボジアでは、代表的なヤシ砂糖といえばパルメラヤシからの砂糖ですが、ジャワですと、サトウヤシ(Arenga pinnata)から採った砂糖でしょうか。

樹液を煮詰めると砂糖ができるヤシは何種類かあります。タイ南部ではニッパヤシから砂糖を採っているのを見ましたが、ココヤシやナツメヤシからも砂糖が採れます。




このヤシ砂糖は、煮詰めてから、お玉のような形ものに流し込んでつくっています。一度にたくさん煮るでしょうから、流し込む型もたくさん必要になることでしょう。
カンボジアでは流し型をヤシの葉で手づくりしています。コストは安く押さえられますが、たいへんな手間です。ジャワ島では、いったいどんな型を使っているのでしょうか?


2010年7月28日水曜日

旅舎



このあたりでは、人家が集まって建っているところを「宿(しゅく)」と呼びます。古い地図を見ますと、私の住んでいる村では、現在、郵便局やコンビニの建っているあたりが、宿と呼ばれていました。
○○の上宿、下宿などと、今でも地名で残っているところもあります。
宿には、はっきりとした職業にしてないとしても、日が暮れたら、泊まれる場所があったのでしょうか?それとも、宿(やど)とは関係なく、村でもっとも賑やかなところを、宿(しゅく)と称したのでしょうか?

八郷は、三方を山に囲まれています。峠を越える前とか、病気の平癒を願って登った登山道のふもとには、いくつもの本格的な宿(やど)があったことと思われますが、私の知っている限り、今でもその面影を残しているのは、Wさんのお宅と、このお宿など、数軒だけです。

県道に面していて、今でも当時の面影を残しているこの宿は、いつごろまで賑わっていたのでしょうか?




鏝絵には、「旅舎」の文字が見えますが、「楼」とは、単なる宿の意味だったのでしょうか?
あるいは、この家の屋号だったのでしょうか?

2010年7月27日火曜日

ウシ飾り



たいていは二間×三間の、一方だけ庇の深い屋根が二重にかけてある建物を、このあたりでは、「」と呼びます。
母屋の形は、入母屋、寄棟さまざまですが、蔵はどれもきっぱりとした切妻で、入り口は大きな板戸一枚で、正面の腰まわりは、なまこ壁になっています。

軒下を低くし過ぎないように、上の屋根より、下の屋根の勾配の方が緩やかになっています。その、微妙な屋根勾配の違いが、蔵を美しいものにしています。




蔵の棟木は、ウシと呼ばれています。ウシは、壁から前後に突き出していますが、軒が深いので、あまり雨のかかる心配はありません。それでも、ウシに銅板を被せたり、漆喰を塗ったりして、劣化を防ぎ、それをシンボルのように美しく飾っている蔵も、少なくありません。かつては、左官屋さんの腕の見せ所だったことと思われます。

ご近所の蔵です。毎日のように目にしていますが、読めません。「谷」でしょうか。




鶴と寿、おめでたいづくしの絵柄は、割合目にしますが、二つと同じものがないのが、おもしろいところです。




これもご近所の蔵のウシです。平岡さんのご本家でしょうか。
よく、横を車で通るのですが、今日写真を撮ろうとして、初めてウシの左の鏝絵に気がつきました。
サンタクロース?まさかねぇ。とすると、大黒様?




大黒様なら、こうありたいものです。できたら、恵比寿様とご一緒に願いたいものでもあります。

左官屋さんの稚拙さを目にしたとき、この家の方は、どう思ったのでしょうか?子どもが喜んだので、「まっ、いいか」と思ったのでしょうか?



2010年7月25日日曜日

タイの籠



時々、「世界で一番手先の器用な日本人」というフレーズを、聞いたり、目にしたりすることがあります。
そう発言する人自身は、手先が器用なのでしょうか?また、日本以外の見事な手仕事を、まったく見たことがないのでしょうか?

私の見たところ、見事な手仕事は、どんな社会にも、しっかりとあったものだったと思います。それぞれ、得意な分野が、織物だったり、農具だったり、狩猟道具だったりという違いはありますが。

かつて、権力者が、職人たちを抱えて、お金も時間も気にせずに、尋常では考えられないほど手の込んだものをつくった時代がありました。そんな手仕事は、ずいぶん前に消えてしまいました。織物を例に取ると、技術のピークは、なんと約2000年前だったそうです。
一方、家族や恋人のために、あるいは属する社会で賞賛をあびたいために、精魂込めてものをつくり出していた人々がいました。こちらも、近年、それを支えていた社会が壊滅状態になっていますから、ほとんど消えてしまったことでしょう。
よい手仕事の、伝承されない、生き残れない時代になりました。

タイの中部に、細かい細かい、籠細工があります。材料は、その地域特産のラタンではなかったかと思います。タイの王室も奨励していて、新聞や雑誌で見る王女たちは、たいていこの籠バッグを持っていらっしゃいます。商業ベースのものづくりではありますが、とても手の込んだものです。
値段は高いし、ニスなどを塗っているものがほとんどで、私自身は買ったことがありませんでしたが、数ヶ月前、骨董市でなじみの誠さんが、何も塗っていない、小さな蓋つきの籠を持っていました。しかも、とっても安くしてくれました。




蓋の模様です。めがねを二つもかけて、ひごの太さを測ってみますと、0.5ミリくらいしかありませんでした。




その蓋を裏から見たところです。複雑ですが、リズムがあって、表に劣らず美しい仕上がりです。どこかでラタンをつないでいるはずですが、材料のつなぎ目など、まったく見えません。




底は、籠目模様になっています。




底の籠目がどのくらい小さいものか、裏に物差しを当ててみました。

タイでは、指輪の周りに散りばめる小さなダイヤモンドのカットや、カツラの毛の植えつけは、目のよい十代の子どもたちの専有的な仕事です。彼らは、よく見える目を駆使して、数年で目を悪くして退きます。
でもこの籠細工、熟練しなくては、とてもこうはいかないだろうし、熟練した職人さんは目が悪くなるだろうしと、他人事ながら心配してしまいました。

2010年7月24日土曜日

とぼけた味の赤坂人形





繊細で、高度に洗練された堤人形の対極をなす土人形と言えば、福岡県の赤坂人形でしょうか。
土人形は、土や石膏でできた型の内側に粘土を貼りつけて形づくり、型から抜いたものをくっつけ合わせてつくります。
形になったとき、どこが合わせ目か、わからないように仕上げるのが普通ですが、赤坂人形は、合わせ目がはっきりとわかります。




鯛焼きは、焼いているうちにふくれて、型からはみ出すことがありますが、人形の型に貼りつける土の量は、簡単に調節できます。型の縁をしっかり決めると、バリははみ出さないはずですが、赤坂人形は全体にバリがはみ出したまま、焼成してつくります。

初めて土に触る素人でも、もっときれいにつくれそうですが、長年つくっていて、手馴れているのに、こんなとぼけた味を出すのは、もしかしたら、とても難しいことなのかもしれません。




馬。




浄瑠璃か義太夫を語っている、狐と猿。
猿の顔を見ると、型は、なかなか細かくできているのがわかります。しかし、できあがりは、こんなにざっくりしています。
素焼きの上に塗った胡粉は真っ白でしたが、年月が経って、はげ落ちています。彩色は、鮮やかな赤と緑、そして黒です。




私のお気に入りの獅子かぶりです。お獅子の歯は金色に塗られていましたから、新しいうちは、いやでも金歯が目立っていました。
数十年経って、金歯の色はすっかり褪せました。私も、獅子かぶりも年をとりました。

2010年7月23日金曜日

堤人形の猫



こちらに来てからのことですから、6、7年前でしょうか。夫が仙台に用事があったので、ついて行きました。夫と別れて、私は市の郊外にある、堤人形の窯元へと向かいました。
制作者の芳賀さんは、細かい作業をしていらっしゃいましたが、快く見学させてくださいました。そのときは、お雛さまの絵付けをなさっていて、着物の模様を、下絵も描かず、すいすいと描いていらっしゃいました。

目当ての招き猫はなかったのですが、猫の香合がありました。猫が蓋になっていて、平らなお皿の上でお香を焚くと、猫の背中の穴だけではなく、耳、目、口などからも香りがもれてくるようにつくってあります。
ひげなどの線の細さ!しかも、曲がったり、太くなったり、かすれたりせずに、みごとな一直線です。




色といい、形といい、なんという可愛らしさ。
芳賀さんの家の香合は、香の煙で煤けていましたが、私には、これで香を焚くことはできません。ただ、愛でています。




しばらくして、注文していた招き猫が送られてきました。
これまたユニークな、猫と言うより、狐のような猫さんです。




当たり矢のついた背中。どうしてこんなまん丸が、しかも同じ太さの線で描けるのでしょう!これだって、絶対下絵はなかったに違いありません。




目の下の隈取り、鼻、ひげのどれをみても、すごいの一言に尽きます。
しかも、芳賀さんは年配の方(失礼)です。どうして手が震えないか、信じられないくらいです。

2010年7月22日木曜日

土の鳥笛



日本の土笛で圧倒的に多いのは、鳩笛です。たぶん、土笛の音色が、鳩の鳴き声に近いからでしょう。
また、全国各地にある八幡宮と鳩とは、切っても切れない関係にあったようで、八幡様の授け物としての鳩が、各地にありました。子どもの病気の平癒のために求め、無事治ったら、納めるというものです。




一番奥の鳩笛は、青森県の下河原の鳩笛(弘前土人形)です。大きくて、姿も善し、日本を代表する鳩笛です。
奥から二番目は、福岡県の赤坂の鳩笛です。赤坂土人形には、かつては、鶏笛や犬笛もありました。今でもあるでしょうか?
三番目は鹿児島神宮の鳩笛です。鹿児島神宮には、いろいろなおもちゃがあって、どれも素敵です。いろいろ持っていたのですが、紙でできたものは、すっかり壊れてしまいました。

手前から二番目は、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳩笛です。一番手前の鳩笛には、八幡鳩と記してあるのですが、どこの八幡様のものでしょうか?九州方面の八幡様の鳩笛ではなかったかと思うのですが、確かではありません。




やはり、鳴き声が似ているからでしょうか、フクロウの土笛もあります。
これは、長崎県の古賀の土人形です。学生時代に制作者を訪ねて、手に入れたものです。長崎ですから、古賀人形は、「阿茶さん」や「おらんださん」など、外国人人形で有名ですが、このむっくりしたフクロウ笛は一目見て好きになったものです。




このつんのめった、苦しそうな姿で、我が家にいること早、数十年。よい声で鳴きます。




こちらは、中南米の鳥笛です。
後ろのみみずくはメキシコの笛、前の二つはペルーの笛です。
みみずくは、「ホー、ホー」と低い声で鳴きますが、前の二つはちょっと甲高い音がします。吹くところ以外に、いくつか穴が開いていて、オカリナになっていますが、そういろんな音が出るというわけでもありません。



2010年7月21日水曜日

何をしているのでしょう?



カンボジアのお土産物です。
使わなくなった、自動車部品やナットを溶接してできた人形たち、二人は何をしているのでしょうか?
一人は望遠鏡で、遠くを見ていて、一人は持っているものを地面に当てています。
地面に当てているものは、いったい何でしょう?

実は、地雷探知機なのです。




二人は、地雷を除去しようとしているのでした。

胴体のあたりや、腰のあたりの可愛らしいこと、顔はナットですが、ちゃんと人に見えます。こんな人形がつくられない世界がくることを、願ってやみません。


2010年7月20日火曜日



も う2年ほど前になるでしょうか、友人の大工のAさんから、鉋をいただきました。

Aさんの建てていた家を見学に行ったときのことです。
我 が家がどこまでできたか話していて、「できることなら、鉋は使わないで済ませたかったけれど、どうしても必要になって、とうとう買ってしまった」と報告す ると、「えっ、鉋を使うようになったの。それはよかった」と、目を輝かせて喜んでくれて、「手伝えないから、せめてこの鉋を使って」と、大小二つの鉋をく ださいました。

大工道具の中で、使いこなすのがもっとも難しいのが、手鉋です。ピンからキリまであり、いい鉋は使うのと同じほどの時間 を、手入れに費やさなくてはなりません。
Aさんは、何度もテレビでとりあげられたような大工さんで、彼の削った鉋屑は、長くつながって、幅が一 定 で、厚みも一定で、あまりにも薄いので、向こうがきれいに透けて見えます。
そして、私の鉋屑はと言えば、お話しするのも恥ずかしいような代物 で す。

私は、建設現場や、建具屋さんに行ったとき、鉋の手入れ具合を見て、腕前判断の目安にします。腕のいい大工さんや建具屋さんは、 必 ず、手入れされたいい鉋を持っています。
といいながら、自分はどうか? 私の鉋は、刃にさびも出ているし、刃はまっすぐかどうか、人様には絶 対に 見せられないので、いつも目につかないところに隠しています。




A さんの鉋は、これまで見たこともない、気品の漂う鉋でした。それもそのはず、希少な、昔の刀だった最高の鋼(はがね)を使って、名のある鉋鍛冶が打った刃 を、厳選した京都産の樫を使って、Aさん自身が仕上げたものだったのです。




鉋 台はほどよい重さで、木は美しく、正目が通って、手に吸いつくようです。
固辞しましたが、Aさんは、「どんどん、使って」と、気にしません。 私も 夫も、青ざめてしまいましたが、見学に来ていた他の大工さんたちや、Aさんのお弟子さんたちは、とてもうらやましそうでした。




A さんは、よい道具によって自分はつくられ、より深い世界にいざなわれたと言います。道具が人をつくり、人が道具をさらによいものにしていくという相互作用 は、頭ではわかります。しかしそのことが身体でわかる日が、いつか私にも来るでしょうか?

この鉋の前には色あせて見えますが、Aさんに 話 した、思い切って買った鉋だって、それなりにりっぱな鉋で、私にはまだ、分不相応なものなのです。




と いうわけで、Aさんの、「使って」という期待にはとても応えられず、鉋は我が家の宝として、道具箱をつくって、納めています。
九州の赤樫でつ くっ た、鉋の刃出しをする木槌もAさんのお手製です。
Aさんは、100丁ほどの鉋を持っていらっしゃって、常時、10丁以上、建設現場に携えて いらっ しゃるそうです。

今は、電動鉋や電動サンダー、電動溝切りなどあるので、私でもなんとか大工をできますが、電動工具がなかった ら、きっと 手も足も出なかったことでしょう。

2010年7月19日月曜日

手づくりのすごろく



まだ、息子たちが小さかったころ、実家に遊びに行ったとき、年の離れた私の妹たち二人が、息子たちにすごろくをつくってくれたことがありました。




当時、子どもたちが好きだった漫画が、満載されたすごろくでした。




進めパイレーツの面々。




うるせいやつらのラムちゃん。




じゃりんこチエの、小鉄やジュニア。




がんばれ元気の元気。





誰だか知らない人たち。





じゃりんこチエのチエちゃん。




ひらめちゃんやウルトラマン。




ドラえもんやのびた。





Dr.スランプのあられちゃんやみゆき。




小さな男の子たちにはちょっと刺激的な絵もあります。





駒は、いろいろな色のドラえもんです。
おおぜいで遊べるので、できあがったときも、家に帰ってからも、何度も何度も、このすごろくで遊びました。




勝者がもらえるお金づくりには、息子たちも参加しています。左の列が妹たちがつくってくれたお金で、真ん中と右の列は、息子たちのつくったお金です。
漫画が読めて、字も書けていますが、絵のできから見て、上の息子が、あるいは二人とも小学校低学年だったころでしょうか。