2009年12月6日日曜日

中国籠



派手な彩色をした、蓋つき籠を初めて見たのは、友人のお父さんのお通夜でした。タイでは、お寺に遺体を安置して、何日も何日もお通夜をします。
お父さんはご高齢だったせいもあり、通夜の席には悲しいというより、家族がみんな集まって団欒しているという雰囲気がありました。
その通夜の席に、たくさんの籠が飾ってありました。大輪の花模様の絵が美しい、とても素敵な籠でした。
「父は籠職人だったのよ。知らなかった?」。知りませんでした。私の知っているお父さんは、もう引退して、何もしていませんでしたから。
「バンコクに三人だけ、この籠をつくれる人がいたんだけど、父が死んで、二人だけになっちゃった。欲しい?だったら頼んであげるわよ」
こうして、数ヵ月後に私の手元に届いたのがこの籠でした。
竹の色がもっと白っぽくて、模様も、色づかいもあまり好きじゃなくて、受け取ったときには、半分嬉しかったけれど、半分はがっかりしたものでした。
その籠も、年月を経た今では生地が濃くなり、すっかり風合いを増しました。

この籠は、タイ語でタクラ・チーン、つまり中国籠といいます。慶弔時に、お料理やお菓子を入れて運んだり、供えたりする籠です。
1980年当時は、王宮前広場で開かれていた週末市場では、この籠を見かけることはほとんどありませんでした。1、2度は見かけたかもしれませんが、ひどく痛んでいるものでした。






私が次に中国籠を見かけたのは、なんとラオス人の難民キャンプの中でした。
「わあ」とか、「きゃあ」とか、言っていたら、難民のおじさんが快くゆずってくれました。
闇にまぎれて、サーチライトも避けきり、決死の思いでメコン川を渡った人に、その数少ない家財道具をゆずってもらうなんて、まったくひどい話ですが、喜んでゆずっていただいてしまいました。




蓋を取るとこんな感じ。




裏は、こんな感じで、とてもしっかりとつくられています。




王宮前広場から、チャトチャックに移った週末市場では、1990年代になると、中国籠がよく見られるようになりました。私は所要でバンコクを通過するとき、それが週末なら、時間を見つけて、よくチャトチャックに足を運びましたが、この小ぶりの中国籠は、そんなときに買いました。
蓋が盛り上がってない形の籠です。




これは、プノンペンのトゥールタンポン市場で買ったものです。1990年代の末には、トゥールタンポンでも、中国籠をときどき見るようになりました。

籠の模様は花、鳥、鶏、ざくろ、魚などです。昔のものは墨で描かれているようですが、新しいものはペンキでしょうか、白がとくに目立つ気がします。

1980年当時、バンコクに二人だった籠職人はお年寄りでしたから、あれから30年経った今では、もうタイでは、つくれる人がいなくなっているかもしれません。
ふるさとの中国・福建省ではどうなのでしょうか?もしかしたら、タイより変化が激しくて、消えうせているかもしれませんが。





我が家ではこの中国籠、アイロンやドライヤーを入れておいて、飾りと収納をかねています。

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