2024年3月19日火曜日

手作りの服


20代のころつくった服です。
既製服はそうなくて、服はほとんど手づくり、雑誌『装苑』がよい師匠でした。


何十年も前から着ることもなかったのに、なんだか捨てられなくて、捨てるものの中に入れたまま、早幾年月。


そうだ、写真に撮って捨てようと、写真に撮りました。
アイロンをかけて撮ればもっと映えたのに.....。突っ込んでいたので、しわくちゃでした。





 

2024年3月18日月曜日

木目込み人形とは?

今年こそ、旧暦桃の節句までお雛さまを飾っておこうと思ったのに、昨日、思い立って片づけてしまいました。


上は、妹の連れ合いのやすおさんの姉上の木目込み人形、1950年ごろのものです。

お雛さまを飾りつけたとき、夫がその写真をFacebookに載せたら、友人のTさんから、戦後まもなくに生まれたTさんのために、お母上が人形屋さんを駆けずり回って、やっとの思いで手に入れたという内裏雛の写真を、コメント欄に送ってくれていました。


これがTさんのお雛さま、私が玩古さんから買ったシンプルな木目込みのお雛さまと雰囲気がちょっと似ています。
雛人形が見つかりにくかったというその年に発売された新品のお雛さまだったのか、それとも人形屋さんに残っていたものなのか、定かではありません。
終戦間近には雛人形をつくる余裕はまったくなかったと思われますが、戦後の品不足は何年ぐらい続いたのか、1950年前後に従妹が買ってもらった、内裏雛が御殿に入った段飾りを見て、私はその大きさと豪華さに度肝を抜かれたので、戦後5年ほどで雛人形づくりは完全復興していたようでした。


私の持っている古い(と言ってもいつごろのものか?)木目込みのお雛さまは、目玉が描かれていますが、Tさんのお雛さまは目が線です。


やすおさんの姉上のお雛さまも、目玉は描かれています。
いつごろから、目を線だけで表すようになったのでしょう?

江戸木目込み人形から画像をお借りしました

そういえば、私が知っている木目込み人形は、目を線だけで描いたものがほとんどだった気がします。
その昔、まだ息子たちが小さかったころ、近所のママ友に誘われて真多呂人形の素材を買い、自分で木目込みの内裏雛をつくったことがありましたが、それも素材を選ぶとき、確か目が線のものしかなかったような記憶があります。
ネットで見ると、木目込み人形には目玉が描かれた、あるいは入れ目(すごい表現!)のものもあるようですが、主流は細い線の目のようです。

松竹梅は手描き!

木目込み人形は、約280年前の元文年間(1736~41年)に京都で発祥したと言われています。 通説によると、当時の上加茂神社の雑掌の高橋忠重という人が、神社の祭礼用の道具を作った余りで木彫りの人形をつくり、それに神社の衣裳の残り裂を木目込んだのがはじまりで、やがてボディーには木彫りではなく型抜きした桐塑を使うようになり、量産できるようになりました。現代は桐塑ではなく樹脂でボディーをつくったものもあるようです。


桐塑の人形は、虫たちの格好の餌食でしたが、かつては虫にやられていた我が家の木目込み雛たちは、今は虫知らずで過ごしています。




 

2024年3月17日日曜日

名古屋の猫抱きお福


名古屋土人形の猫抱きお福です。
お福さんの表情も、猫の表情も素晴らしい!


お福の型と猫の型を別々につくり組み合わせたとても丁寧なつくりです。


上の写真は、招き猫ミュージアムの土鈴の猫抱きお福を、フィギュアにしたものです。


フィギュアもちゃんと土鈴風につくってありますが、お福さんだけでなく猫も土鈴になっています。


名古屋人形には、土鈴と土鈴でない猫抱きお福が存在していたようです。



郷土玩具には、背中の彩色は省略したものも多い中、背後までしっかりと彩色され、土鈴でない方は着物に五つ紋がついています。


猫抱きおかめは、東京、今戸にもありました。
右後ろは吉田義和さん(いまどきさん)が型を起こしてつくられたものです。


磁器人形の猫抱き、磁器だけれど射的の的の猫抱き、焼き物の猫抱き、猫抱きにもいろいろありました。







 

2024年3月16日土曜日

『昭和の日本のすまい』


九州に住む息子が、『昭和の日本のすまい』(西山卯三記念すまい・まちづくり文庫編集、創元社、2007年)を送ってきました。
なぜこの本を送ってきたのか、説明なしなのでわかりません。わかりませんが、消えてしまった風景がたくさん掲載されていて、懐かしく眺めています。

西山卯三は、戦前戦後を通じて、おもに町の庶民住宅の研究をした人で、たくさんの写真を残しました。
目次は、戦前編(昭和10~19年)、戦後の絶対的住宅難編(昭和20~30年)、復興・近代化編(昭和初期5~34年)、高度成長の光と陰編(昭和35~)に分かれています。


奈良市の茅葺き屋根(昭和4年)の町家です。
この形の屋根は、戦後も一部地域には残っていたし、21世紀になっても法隆寺の前には残っていましたが、今もあるでしょうか?


名古屋市呼続の農家型町家です(昭和10年)。


東京本郷(昭和12年)。
リヤカーや大八車が春日通りを普通に通っているのがおもしろい。都電も走っているのでしょう、線路が見えます。


戦前の子どもたち。


戦後住宅難時代の、東京墨田区向島の列車転用住宅(昭和27年)。


大阪市都島のバス転用市営住宅(昭和28年)。
これが市営住宅というところがすごいです。


上のバス転用住宅の内部です。


京都の市電転用住宅、これは21世紀まで残った転用住宅だそうで、西山さんではない方の写真です。


戦後の復興住宅、東京新宿の戸山ハイツです(昭和26年)。
高校生のころ、私が山手線から見ていた風景はこの手前のようなもの、山手線沿線にはあちこちに空き地があり、戸山ハイツは別世界でした。
高田馬場駅のすぐ近くにはかまぼこ兵舎の転用孤児院があって、毎月1回は行っていた西武線萩駅にあった学校の農場の帰りに、高田馬場駅で降り、クラブ活動で孤児院を訪ねる友人たちについて行って、孤児たちと遊んでいました。


今では高層ビルの立ち並ぶ新宿も、高いビルはほとんどなく、一望千里でした(昭和26年)。


北海道夕張炭鉱の炭鉱住宅(昭和25年)。


炭鉱住宅の中。


今は無人になっている軍艦島の住宅(昭和27年)。


新潟県高田市の雁木の町並み(昭和32年)。


岡山県倉敷市下津井(昭和35年)。
高田と言い下津井と言い、大都会ではないところの風景にはホッとします。


大阪府の千里ニュータウン(昭和40年)。
復興から高度成長へと舵を切った日本で、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後から、都市では現在まで建設工事の音が途絶えることなく、日々変貌し続けています。









 

2024年3月15日金曜日

ゆたか染


以前、maicaさんにいただいたゆたか染のビンです。


説明書を巻いていないビンの方は、「ゆたか染」と左から横書きのエンボスがあるので、第二次大戦後につくられたものでしょうか。泡がいっぱい入った手作り感いっぱいのビンです。


染料ビン図録に、「たか染」として紹介したビンです。
あれっ? よく見たらおかしい!


ビンはエンボスの真上で大きくゆがんでいます。ゆがんでしまったため、ゆたか染の「ゆ」が刻印されなかったに違いありません。
ビンがこのままで売られたとしたら、おおらかな、よい時代でした。


ラベルが右から横書きなので、戦前のものと思われるゆたか染のビンです。
なんとゆかいなロゴマークでしょう!


緑色のビンにも同じロゴマークが使われていますが、小さすぎるのとかすれているため、こんなにユーモラスなロゴマークだったとは気づきませんでした。
ロゴマークが大きいビンのエンボスは、縦書きになっています。
しかし、この男(女?)はいったい何をしているのでしょう?






 

2024年3月14日木曜日

いい加減だけど...


もともと、手先が器用ってほどではないし、老眼で細かいものは見えてないし、仕上がりが期待はできないのですが、今やらないでいつやる? ということで、どんぐり人形の赤ちゃんのお布団をつくり直すことにしました。
端布の引き出しを開けたらすぐ目についたのが、母の羽織の布と長襦袢の布でした。羽織の布の方が色としてはいいし、端布も小さかったので、こちらを使うことにしました。


お布団をはがしてみたら、わっ、赤ちゃん痩せている!


完全には解かず、下から綿を詰め込みましたが、もともとの着物の着せ方も決してうまいとは言えないので、限界がありました。


破れたお布団をそのまま包んで縫いつけ、何とかでっち上げました。
参考にしている左の赤ちゃんは、着物を3枚も重ねています。元々できが違う!
頭が破れているのも気になりますが、これを直すとなると顔も描きなおさなくてなならない、それでは全とっかえなので、修理はこれまでとしました。






 

2024年3月13日水曜日

『ガザ 素顔の日常』

先日、八郷のつながる図書館で、ガザ 素顔の日常』を観ました。


『ガザ 素顔の日常』は、2019年に、ガリー・キーンとアンドリュー・マコーネル監督によってつくられた
映画で、ガザの人々の、漁をしたり、遊んだり、民族衣装のファッションショーを企画したり、楽器を習ったり、タクシーを運転したり、救急車を出動させたりなどなどの、日常が描かれています。 全国の上映情報を見ると、ほぼ終わってしまってはいるのですが、新潟や大阪ではまだ観ることができます。 ほかにも、上映情報に乗っていない小さな上映会は各地で行われていて、急ですが今日3月13日の午後には、茨城県のつくばカピオホールで、0:30、14:00、19:00時の3回上映されます。 また、映画はグループで借りることもでき、借りるには費用が掛かりますが、参加費などでまかなうことができます。八郷のつながるで上映されたのも、そうした自主上映会の一つで、石岡市内の全中学校にチラシが配られ、我が家でも中学生のはなちゃんを含む家族で観に行きました。
NGO「パレスチナ子どものキャンペーン」からも、『ガザ 素顔の日常』だけでなく、古居みずえさん監督の、『ガーダ パレスチナの詩』(2005年)や『ぼくたちは見た ガザ・サム二家の子どもたち』(2011年)も借りることができます。


写真は、パレスチナ子どものキャンペーンのサイトに掲載されているガザの地図です。幅10キロメートル、長さ40キロメートルの中に200万人が暮らしています。
この地図を見ると、ガザがどのような閉塞感にさいなまれているかがわかります。ほとんどの住民は、ここから一歩も出られないのです。
一人でも多くの人たちに観て欲しい映画です。