2017年5月22日月曜日

前垂れをつけた招き猫


骨董市で、遠くから、まことさんの店に、招き猫の後ろ姿が見えました。
「大小あるなんて、豪徳寺招き猫かしら?」
と思いつつ近づきます。


なんの期待もせず、前に回ると、わぉぉ、初めてお目にかかる猫たちでした。
「この猫はなに?」
と、思わず変な質問をしてしまいました。
「招き猫だよ」
と、まことさんが返します。


「こんな眉は初めて見たかな」
と、まことさん。


「眉がこんなのはいるけれど、こんな前垂れは初めて見たかな」
と、私。
小さい方の前垂れには、唐草模様が浮き彫りになっています。


鴻巣の練りものの招き猫にちょっと雰囲気が似ていますが、鴻巣の猫たちよりずっと大きく、ずしりと重い素焼きの猫です。


家に帰ってから、『郷土玩具招き猫尽くし』をひっくり返してみました。
隅から隅まで見たけれど、どこの猫たちかわかりませんでした。
手足の指の赤が目立ちます。


「あぁ、猫が収まるところに行ってよかったなぁ」
と、まことさん。
「あぁ、猫が来るところに来てくれて嬉しいなぁ」
と、私。


「これはおまけだよ」
といただいた糸巻きには、東京で開かれて骨董市のためにつけたのか、かなりのお値段がついていました。




2017年5月21日日曜日

本の間から、「昔」が出てきた!

時折、思い出したように夫の本を片づけています。
長い間、居間の地下に、段ボール箱に入れたまま積んでいましたが、なにせ、地下室はカマドウマの集結場所になっていて、箱がカマドウマの糞だらけになっています。


おお、懐かしい!
ずっと夫の本棚にあった本が、久しぶりに姿を現しました。
左は昭和元年から30年までの写真、右は敗戦の年(昭和20年)から、60年安保の年(昭和35年)までの、新聞からピックアップした写真が載っています。


中にカビが生えていないかと、『写真昭和30年史』を開いたら、紙切れが出てきました。


たはっ。
「うちに、こんなものがあるのか?」
という古めかしさです。
  

裏返したら、映画館でもらえるパンフレットでした。
三輪自動車は、パンフレットの裏の広告だったのです。
「警察日記」とありますが、下に小さく「湯の町椿・東京の空の下には」 と書いてあります。


そして、パンフレットを開くと、中には、それぞれのキャストやあらすじが書いてありました。
字が小さくてその時はほとんど読めませんでしたが、宇野重吉、三橋達也などという文字が見えました。


場末の映画館では三本立てが当たり前でしたが、場末でパンフレットをくれたかしら?
いやはや、時代を感じてしまいました。







2017年5月20日土曜日

寝間着

私の両親は、浴衣地でつくった甚平、ひざ丈の着物のような寝間着を着ていました。
母が、私たちにもつくってあげようかと言ってくれたのは、ずいぶん前のこと、夫は紐で結ぶと、はだけて嫌だから、すぽっとかぶる方がいいと言い、ワンピース型の寝間着を所望しました。
母がつくってくれたのを着たり、私もつくったりで、以来夫は(私も)、ずっとワンピース型の寝間着を着ています。

さて、数年前に縫った夫の夏の寝間着がくたびれてきました。
昨年も、私の古い浴衣を解いて夫の寝間着を一枚つくり足したのですが、それはすぐにあちこち破れてきました。継ぎ当ても追いつかず、もう着られません。
二、三度着ただけの浴衣でしたが、タンスの中ですっかり弱っていたのです。


というわけで、寝間着には新しい布を用意するのが鉄則です。


とりあえず二枚縫いました。
「ちゃんと前後ろが、すぐわかるようにつくって」
というのが、夫の注文です。
毎日のように前後ろを反対に着て、首が締まりそうになるのだそうです。


ほとんど布を使い切るような直線立ちですが、首周りを切り取った端布をマークに利用しました。


丸く切って、前身頃に貼りつけたのです。


これでも前後ろを間違えるようなら、私の知ったことではありません。
「えっ、古いのは捨てるの?」
はい、きっぱりと捨てるので、一枚残すのと新しいの三枚で着まわしてもらいます。

私は長い間、母からもらった父の甚平をワンピースに改造したものを着ていましたが、さすがに残り三枚ほどになりました。
母は、妹のモンペもそうですが、つくるとなると量産しないと気が済まない人で、父の寝間着も、亡くなったとき十枚以上、しかも大半がまだ着てもいないものが遺されていて、それをもらったのです。

この夏は、これでなんとか行けそうですが、また、雨が降ったときでも、しかたなく縫いましょう。まだ布は、五枚分も残っています。








2017年5月19日金曜日

八郷の朝


用事があって、早朝外に出ました。
右の手前の丘の中、ミズキの花が咲いて白くなっている木よりもっと右寄りに我が家があります。

どこのブドウ栽培のビニールハウスからも、白い靄が立ち上っていました。
 

肉眼だと、山はもっと、けぶって見えます。


しばらく行くと、靄の中で真っ赤になった大きな朝日が!
写真だと赤く見えませんが.....。


今朝はどこからも、靄が立ち上っています。


帰り道では、靄は高く上って、盆地のところどころが霧に包まれたようになりました。
真ん中に見えるのが、筑波山です。


この季節の楽しみは、短い間ですが、鏡になる田んぼです。





2017年5月17日水曜日

「茨城黄色種創始記念碑」

つくばに住むN.Tさんから、最近、我が家の近くの日笠神社にある、煙草の記念碑を、わざわざ見に来たと聞きました。
「黄色種煙草の記念碑って何?」
毎日のように傍を通っている日笠神社、全然知りませんでしたが、行ってみると大きな碑が立っていました。


碑には、「茨城黄色種創始記念碑」と彫ってあります。
由来を一番よく知っているのは郵便局長さんだろうと、日笠神社のそばの郵便局をたずねてみたら、やっぱりよくご存知でした。

局長さんによると、記念碑は、戦後まもなくできたとか。
黄色種とは、今でも栽培されているアメリカから輸入された煙草で、葉が大きく、商品作物として効率的なので導入され、瞬く間に普及しました。

それ以前、八郷では煙草は栽培されていませんでした。
江戸時代から、県北で栽培されていた「水府」や、県西で栽培されていた「桐が作」は葉が小さく、自然乾燥することができましたが、黄色種、通称米葉(ベーハ)は、葉が大きい分、自然乾燥することができず、乾燥小屋をつくって密封し、薪で熱して乾燥させなくてはなりませんでした。


その煙草乾燥小屋は、今でも、八郷やその周辺のあちこちに残っています。


私たちが八郷に来た15年前に比べると、煙草栽培農家は減っていますが、まだまだ健在です。


煙草畑の多くは、ライムギの垣根に囲まれています。
ライムギの垣根は風よけか、それとも麦は甘いので虫よけか、誰かに訊いてみようと思いながら、まだ訊けずにいます。
 

黄色種、通称米葉は、播種時から収穫まで、たくさんの農薬を必要とします。
農薬は、栽培する人や近隣の人にも影響を与えますが、問題は煙になるとき、その残留農薬が発がん物質になって、煙に含まれることです。煙草を巻いている紙も、製造の過程で化学物質を使いますが、それも高温で発がん物質となり、煙には6,000種類もの発がん物質が溶け出すことになります。

健康を考えるなら、煙草そのものを標的にするより、農薬を標的にする方が妥当と思われますが、それができないのが、社会のありようかもしれません。

煙草では、鹿児島の「国府」が有名でしたが、「水府」や「桐が作」はどんな味がしたのでしょう。
いまでも、農薬を使わない煙草をキセルで吸っていたら、煙から発がん物質は検出されず、そう目の敵にされることもなかったかもしれません。








2017年5月16日火曜日

材木展示会

新聞の折り込みチラシの中に、「前川林業」の材木展示会の案内を最初に見つけたのは、もう15年以上前になります。
自分たちで家を建てることにしたものの、材木についてもよく知らない私たちは、早速出かけて、値段のついているいろいろな材木を、隅から隅まで見て、勉強させていただいたものでした。そんな機会はまたとなかったのです。
展示会では、材木屋さんが在庫を売るだけでなく、たくさんの業者が各地から出向いてきて、店を開きます。吉野杉の棟木や丸柱用の丸太を売る人、ケヤキなど銘木といわれるものの専門店、フローリング屋、薄い秋田杉の木目を加工した天井板屋、土台屋、彫刻を施した置物から神棚まで、細工物を売る店、組み子、木のお風呂まで並んでいたこともありました。

材木のほかには住宅機器も一角を占めていて、ユニットバス、システムキッチン、便器、浄化槽などが、勢ぞろいします。そのほか、電動工具やいろいろな道具や金物などを売る店もあり、大工さんや工務店がブースを出したり、足場屋さんが、足場を組んだり外したりして見せたりもしています。

展示会は、春、秋、そしてお正月と、年に三回開かれます。
我が家は建設も進み、いまでは買うものもあまりないので、しばらく行っていませんでしたが、春の展示会の二日目の午後、そろそろ終わりそうな時間に、思い立って行ってみました。


あらっ、セリをやっていました。野次馬根性でのぞきます。
社長さん自らが、材木に貼ってある定価の、四割引きくらいにした値段をその場で提示します。セリと言っても、誰かが欲しがったらそこでやめて次に行くので、その値段で買えます。
欲しい材木があれば、セリで買った方が安いのか、信じられないほどたくさん買っている大工さんもいました。

私たちも下見しておいて、一寸五分(45ミリ)厚みで、幅が六寸(24センチ)、長さが4メートルというサワラを、六枚落札しました。
ヒノキと間違えて仕入れてしまったので、破格の値段(1枚1980円)をつけていたものを、さらに値引きするという口上が述べられ、1枚1300円でした。
これで、幅が半間(90センチ)、長さが一間(1.8メートル)の大きなテーブルが二つ、足も含めて、余裕でつくれます。

次に、客室用の便器を見ます。
最初に見たのが最大手のウ○ッシュ○ット、定価20万円以上のものが、その日に限って48,000円になっていて、たくさんの「売約済み」札が、壁に貼ってありました。ほかの便器も見ようと各社のものを見ましたが、どれも20万円以上します。
「あれしかないね」
と、最初に見たもののところにかえったら、運よく専務さんが通りかかり、さらに10,000円値引きしていただきました。
ほんとにいいのかしら?

さて、買い物をするには、受付をしなくてはなりませんが、受付すると食事券がもらえます。屋台で、そば、カレーライス、焼きそばなどが食べられるのです。そのため、大工さんだけでなく、家族連れもたくさん遊びに来ています。
大人にはカラオケ大会、子どもたちには縁日の屋台のような楽しみもあります。


子どもたちが、集まっているのは足場屋さんの前、3時から餅投げがあるようでした。
お餅だけでなく、たくさんのお菓子も投げられるようで、子どもも大人もレジ袋なんか持って、拾う気満々でした。

今はフォークリフトがあるとはいえ、たくさんの材木をきれいに並べて値段をつけるのは大仕事、材木屋さん、お疲れさまでした。





2017年5月15日月曜日

思い出列車・湊線


船越知弘さんの湊線(みなとせん)の写真展を、最終日にやっと見に行くことができました。
船越さんは、湊線の写真をもっと撮りたくて、沿線に越してきて、毎日湊線の写真を撮っている方です。

湊線は、茨城県ひたちなか市の勝田駅から、旧那珂湊市街を経由して、阿字ヶ浦駅まで走る、全長14.3キロの電化されていない路線です。
自家用車の普及によって乗客数が減り、廃線の危機にも直面したし、東日本大震災の影響で全線不通となったりしましたが、復旧・存続し、地元にも手厚く支援されて、今でも元気に走っています。

写真展の会場となった百華蔵は、湊線の那珂湊駅の裏手にある、大きな大谷石の蔵です。
東日本大震災にもびくともしませんでしたが、一時、取り壊しの危機に直面しました。そのとき、取り壊すのを惜しんだ有志が知恵を出し合い、軽微な修繕を施して、以後コミュニティーセンターとして、活用しています。


普通の展覧会では、ちょっと使うのが難しいかもしれない、天井の高い蔵の中で、大きく伸ばされた写真たちは、どれも圧巻でした。


本当に、見に来てよかった、そう思える、充実の写真たちでした。


どの写真にも、湊線への思いが満ち満ちていました。


めったにそんなことのない私ですが、見ていると涙の出そうな、物語の詰まった写真が、たくさんありました。